全国三例しかない八幡造、松山随一の八幡として崇敬された式内の古社
[住所]愛媛県松山市桜谷町173
[電話]089-947-7447

伊佐爾波神社(いさにわじんじゃ)は、愛媛県松山市桜谷町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 伊予国 温泉郡「伊佐尓波神社」に比定される式内社(小社)。松山八社八幡の一番・湯月八幡であり、道後八幡とも。近代社格では県社

主祭神は、譽田別尊足仲彦尊氣長足姫尊三柱姫大神市杵島姫尊湍津姫尊田心姫命)。東照大神 (東照大権現、徳川家康)を配祀する。

社伝によれば、第14代仲哀天皇と神功皇后が道後温泉に来湯した際の行宮跡に創建されたという。旧鎮座地は「伊佐爾波岡」と呼ばれていた場所で、現在の湯築城跡とされる。別当寺は宝厳寺と石手寺。

伊予国守護・河野氏による湯築城の築城に際し、現在地に移転。湯築城の守護神として河野氏から崇敬されたほか、道後七郡(野間・風速・和気・温泉・久米・伊予・浮穴の各郡)の総守護とされた。

松山藩の藩主となった加藤嘉明は、松山城の固めとして松山八社八幡を定め、当社は湯月八幡として一番社とされた。また武運長久の祈願社として、社領に久米郡井合の土地100石を寄進した。

寛文2年(1661年)、弓の名手といわれた三代藩主松平定長は、将軍家より江戸城内において弓の競射を命じられた際、湯月八幡宮へ必中祈願をした。

寛文4年(1664年)6月、定長は、将軍家の御前で弓を無事に射ることができ、祈願成就の御礼として社殿の造替に着手した。

寛文7年(1667年)5月15日、大工697人、延べ人数6万9017人を要し新社殿が完成。松平家より代参として家老竹内家が参拝し、遷宮式が挙行された。

新社殿は石清水八幡宮を模したとされる八幡造で、宇佐神宮とあわせて、現存する三例のみのものである。

本殿の他、透塀、申殿、楼門、廻廊など社殿や、太刀(銘 国行)も国の重要文化財に指定されている。

明治4年(1871年)、県社に列格。昭和45年(1970年)から3年間にわたり、本格的な復元解体修理が行われた。

また、平成12年(2000年)から2年間にわたり、屋根(檜皮)の葺き替え工事、丹朱塗他塗装工事、破損個所の補修、その他修復工事が実施された。

参道前の社号碑は、出雲大社第82代出雲国造千家尊統の書である。近隣にあるやはり式内社である湯神社も同じ。

境内社に、常盤新田霊社(ときわにったれいしゃ。新田義宗・脇屋義治・松平定長)、高良玉垂社(こうらたまたれしゃ。武内宿禰命)、素鵞社(素盞之男命稲田姫命)がある。

例祭は10月6日。秋祭りで、喧嘩神輿(鉢合わせ)がある。

【ご利益】
厄祓い、武運長久・勝運、身体壮健
伊佐爾波神社 - 全国三例しかない八幡造、松山随一の八幡として崇敬された式内の古社
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松山八社八幡
・一番 湯月八幡 伊佐爾波神社
・二番 桑原八幡 桑原八幡神社
・三番 日尾八幡 日尾八幡神社
・四番 正八幡 雄郡神社
・五番 日招八幡 日招八幡大神社
・六番 山崎八幡 朝日八幡神社
・七番 帰熊八幡 還熊八幡神社
・八番 勝山八幡 阿沼美神社
伊佐爾波神社の御朱印