筑紫の神、九州そのものを祀る、「筑紫」地域の発祥にも連なる名神大社
[住所]福岡県筑紫野市原田2550
[電話]092-926-5443

筑紫神社(ちくしじんじゃ/つくしじんじゃ)は、福岡県筑紫野市原田にある神社。筑紫宮とも呼ばれる。

延喜式』巻9・10神名帳 西海道神 筑前国 御笠郡「筑紫神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、筑紫の神(つくしのかみ)で、筑紫の国魂とされる。白日別神(しらひわけのかみ)や五十猛命(いそたけるのみこと。またの名を大屋毘古神)と見る説もある。

また、後世に竃門神社から勧請した玉依姫命(たまよりひめのみこと)を、また坂上田村麻呂を合祀。

創建は不詳。元々は城山山頂に祀られていたが麓に移されたという説、当初から現在地に祀られたという説がある。

「筑紫」の名称は、九州を「筑紫嶋」(記)または「筑紫州」(紀)といったように広義では九州全体も指したが、狭義では当社周辺の地名を指すとされる。

当地周辺の背振山地東部の低丘陵地は弥生時代中期において甕棺墓の分布中心部、後期においては青銅器生産の中心地だった。銅鐸祭祀の源流も一帯の地域にあると見られる。

『日本三代実録』では、貞観元年(859年)に従四位下の神階奉授を受け、元慶3年(879年)には従四位上に昇叙されている。

天元2年(979年)の官符には住吉神社香椎宮・竈門神社・筥崎宮とともに当社に大宮司職を置くという記載がある。

鎌倉時代からは、当地の地頭職にあった筑紫氏が社司を兼ねた。その後、戦国時代の兵火によって社殿・古文書が焼失し荒廃。江戸時代に入り、復興が図られ社殿の再建が行なわれてた。

明治維新後、明治5年(1872年)には郷社に列したが、郡区画改正で村社になり、明治14年(1881年)に再び郷社に、そして大正4年(1915年)に県社に昇格した。

例祭は10月20日で、秋季大祭。3月15日に春季大祭とされる粥卜祭(かゆうらさい)、あるいは御粥占祭とも呼ばれる神事がある。

お粥に生えたカビでその年の豊作や病気を占うもので、判定結果が張り出される。市の無形民俗文化財。

摂末社に五所神社(ごしょじんじゃ)がある。須佐之男命櫛名田姫菅原道真伊耶那岐大神少名彦名命を祀る。大正4年(1915年)に近隣の無格社5社を、昭和4年(1929年)に境内社を合祀したもの。

【ご利益】
五穀豊穣・商売繁盛、地域安寧、家内安全
筑紫神社 - 筑紫の神、九州そのものを祀る、「筑紫」地域の発祥にも連なる名神大社
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筑紫神社の御朱印