姫君と馬の獣姦など伝承が残る、馬の守護の神、津波被害なしの名神大社
子眉嶺神社(福島県相馬郡新地町駒ケ嶺大作44
[住所]福島県相馬郡新地町駒ケ嶺大作44
[電話]0244-62-3646

子眉嶺神社(こびみねじんじゃ)は、福島県相馬郡新地町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「子負嶺神社(陸奥国・宇多郡)」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では郷社。

御祭神は、豊受比売之命伊勢の神宮(伊勢神宮)の豊受大神宮(外宮)と同神とされている。

五穀豊穣・安産守護・悪疫消除・養蚕守護などの神徳を持つとし、また当社の由緒から、特に馬の守護・馬の病気の平癒祈願など馬に関する信仰が篤い。

当社には馬に関して、大別して二つの伝承が残る。

一つは、国津神の夷子別之神と、その妃である白媛神に関して。姿が醜く陰部が大きかったために嫌われた夷子別之神を、唯一見初めたのが白媛神。二柱は馬の治療や、馬の飼育法の伝教などに努めたという。

もう一つは、第30代敏達天皇の時代、ある都の姫君が馬と通じた獣姦の罪で当地に流された。姫君は懐妊し、出産。その子の顔があまりにも馬に似ていたという。

当地のものが姫と子を必死に養育し、没後、子を当社へ、姫君を羽山に祀ったという。

また、関連して、馬の顔を持つ子供の誕生を恐れた母が子供を谷に捨てたところ、その他にに住む猿が子供を養育、その子供を子眉嶺神として祀ったというものもある。

「猿が牛馬の飼育を守護する」という当地の言い伝えにも符合する。

由緒書によれば、大宝2年(702年)に仮宮を設けて200年間祀り、延喜7年(907年)に社殿を建立したという。名神大社に列し、案上官幣を国から受けた。

中世においては、当地は仙台藩に属していたことから伊達家より崇敬を受け、社領の寄進や社殿再建・修繕が行われたものの、安永8年(1779年)に野火に罹り社殿が焼失した。

寛政8年(1796年)4月、仙台藩主による社殿再建が行われ、文化3年(1806年)に社殿が完成した。大正7年(1918年)に幣殿および拝殿が建てられ、平成11年(1999年)8月に社殿の改築が行われた。

当社は旧宇多郡の総鎮守社とされている。古くは「勝善社」「相善宮」と呼ばれ、現在も「奥之相善宮」と称している。

相善とは「蒼前神」とも称される神で、東北地方から関東中部地方に至る地域で馬の守護神として信仰されている。

例祭は、春季が3月7日、秋季が7月6日・7日。12年に1度の午年に御縁年遷宮祭がある。

当社境内には、七不思議と呼ばれる、南天の桜・北斗の松・七葉の柏・鏡ヶ池・片葉の葦・芽白の笹・九曜の皐がある。

境内南側の丘陵地は羽山公園として階段や展望台が整備され、園内には当社の御祭神を葬ったと伝えられる場所があり、「子眉嶺神社御祭神埋歿地」の石碑が建っている。

境内社に羽山神社(母山神社)がある。社殿の前には「安産石」という赤い石が安置されており、この石が赤いのは「御祭神が子供を生んだ時に血が掛かったため」と伝えられている。

なお、当社は平成23年(2011年)3月11日に発生した東日本大震災による津波が到達せず、被害がなかった神社でもある。地震による境内や建物の破損は見られた。

【ご利益】
五穀豊穣・安産守護・悪疫消除・養蚕守護、馬の守護
子眉嶺神社 - 姫君と馬の獣姦など伝承が残る、馬の守護の神、津波被害なしの名神大社
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子眉嶺神社の御朱印