神功皇后が船3艘を祀らせたうちの一社、7月の夏祭りは和歌山市随一の風物詩
[住所]和歌山県和歌山市中之島677
[電話]073-422-1465

志磨神社(しまじんじゃ)は、和歌山県和歌山市にある神社。志麻神、志摩神、志摩大神などとも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 南海道神 紀伊国 名草郡「志磨神社」に比定される式内社(名神大社)。近代社格では県社

市内園部の伊達神社、同じく和田の静火神社竈山神社摂社)とともに「紀三所社(きのさんしょしゃ)」と称される。

『住吉大社神代記』では、「紀三所社」について、神功皇后が三韓征伐に用いた船3艘を武内宿禰に祀らせたことが起源とする。

住吉大社摂社の船玉神社が紀氏の神であり「志麻神・静火神・伊達神の本社」であるとしている。

当社に関しては、神功皇后の孫に相当する第16代仁徳天皇によって再興されたとも伝わっている。

主祭神は中津島姫命(なかつしまひめのみこと)。別名を市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)、つまり宗像三女神の一柱。また、生国魂神(いくだまのかみ)を配祀する。

元和年間(1615年-1624年)に式内社「志磨神社」に比定され改称した。現在は「中之島」の地名が表すように紀の川三角州の島に位置するが、社名「しま」がこの川中島を指すといわれる。

比定以前は「九頭明神(国津明神)」を称した。

「志摩神」に関連するものとして、文献では、古くは『新抄格勅符抄』大同元年(806年)牒に神戸として「島神七戸」の記載がある。神戸の存在は、『和名類聚抄』名草郡の「島神戸」の記載にも見える。

国史では、いずれも伊達神・静火神とともに承和11年(844年)に正五位下、嘉祥3年(850年)に従四位下、貞観元年(859年)に正四位下、貞観17年(875年)に従三位の神階昇叙の記事が記載されている。

『紀伊国神名帳』では「正一位 志摩大神」と記載されている。境内には応永6年(1399年)の銘を持つ石燈籠が建てられている。

『紀伊続風土記』によれば、当社は慶長年間(1596年-1615年)以前は社領として田畑5反を有していたが、検地に伴い没収され、その後紀州徳川家によって再興されたという。

天正年間(1573年-1593年)以来10度の火災にあり、その中には雑賀一揆、根来攻めなど、当時の当地状況を知ることのできる棟札が10枚現存する。現在の本殿は宝歴6年(1756年)に造営されたものである。

昭和17年(1942年)に県社に昇格した。

例祭は10月15日。夏祭りが7月にあり、宵宮が14日、本宮が15日で、市内一の風物詩として知られ、数万人の参拝客で賑わう。7月第2土曜日には子供神輿渡御がある。12月15日夜に庭燎神事が斎行される。

摂末社に、天照皇大神宮・弁財天社・蛭子神社、久嶋神社・宇佐八幡神社・八坂神社、国津神社・天満社・琴平神社、稲荷神社・月読神社・医祖神社、焼火神社・猿田彦神社がある。

【ご利益】
縁結び、治病、交通安全、建築、土木、商工業繁栄(和歌山県神社庁
志磨神社 - 神功皇后が船3艘を祀らせたうちの一社、7月の夏祭りは和歌山市随一の風物詩
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志磨神社の御朱印