手を洗う大国主命が国難除去を手伝う、皇族の女性5人を祀る
[住所]群馬県伊勢崎市境下渕名2827
[電話]0270-76-3961

大國神社(おおくにじんじゃ、大国神社)は、群馬県伊勢崎市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 佐位郡「大国神社」に比定される式内社(小社)で、上野国十二社の一社。近代社格では郷社。

丹波道主王命の5人の娘が勧請・合祀されたことで「第五姫宮(だいごひめのみや)」「五護之宮(ごごのみや)」とも呼ばれる。

そのため、上野国五宮とされる場合があるが、通常、上野国五宮は若伊香保神社を指す。

明和年間(1764年-1772年)の『大国五護宮縁起』や『伊勢崎風土記』によると、第11代垂仁天皇9年に風雨不順によって人々が苦しめられていたため、垂仁天皇は百済車臨を東国に派遣した。

車臨は当地に至り、御手洗池で手を洗う大国主命と出会い、国家の難の平定を願った。すると大国主命の姿はなくなり、その跡に淵が出来た。

これが「渕名」の地名の由来で、『和名類聚抄』に見える「佐位郡淵名郷」は、当地に比定される。

その後垂仁天皇は車臨を賞し、当社を祀らせるとともに当地を与えたと伝えられる。また垂仁天皇15年9月には、丹波国穴太郷から五媛の宮を勧請・合祀したという。

主祭神は大国主命。垂仁天皇の皇后である日葉酢媛命を筆頭に、渟葉田瓊入媛命真砥野媛命薊瓊入媛命竹野媛命の丹波道主王命の5人の娘が配祀されている。

当社に関して、国史に記載はないとされる。社伝によると、奈良時代の神護景雲元年(767年)、勅を奉じた佐位采女が社殿を修造した。

『上野国神名帳』では、一宮本(一之宮貫前神社所蔵)に鎮守12社の12番目に「従一位大国大明神」、群書類従本(三夜沢赤城神社旧社家伝来)では鎮守12社の12番目に「従一位大国玉大明神」とある。

しかし、総社本(総社神社所蔵・御神体)では鎮守10社に記載はなく、総社神社で祀られていない。

明治7年(1874年)、郷社に列した。また明治42年(1909年)に神饌幣帛料供進社に指定された。

本殿は、江戸時代の寛政5年(1793年)の造営という。幣殿は昭和5年(1930年)の造営。拝殿は間口五間・奥行三間半で、文化元年(1804年)の造営。

境内には石幢(せきどう:仏教の石塔の一種)が立つ。この石幢は「御手洗の石燈籠」とも呼ばれ、室町時代の延徳2年(1490年)の銘がある。市の重要文化財。

当社東北方には大国主命が手を洗ったという御手洗池跡が残る。明治40年(1907年)に当社に合祀されるまで、その地には御手洗神社が鎮座していた。

4月3日が春祭で小祭、境町ふれあい祭の日が夏祭で中祭、10月最終日曜が秋祭で大祭。市の無形民俗文化財「下渕名の獅子舞」が奉納される。

【ご利益】
地域安寧・家内安全、縁結び、子宝・安産・子育て、恋愛成就
大國神社(伊勢崎市) - 手を洗う大国主命が国難除去を手伝う、皇族の女性5人を祀る
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大國神社(伊勢崎市)の御朱印