1月の例大祭では大朝神社と共同で神輿の海中渡御が行われる古社
[住所]静岡県沼津市下香貫宮脇335
[電話]055-931-0595

楊原神社(やなぎはらじんじゃ)は、静岡県沼津市下香貫宮脇にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「楊原神社(伊豆国・田方郡)」に比定される式内社(名神大社)、ただし、写本によっては名神大社ではない。近代社格では郷社。

主祭神は大山祇命(おおやまつみかみ)。その娘である石長姫命(いわながひめのみこと)、木花開耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)を配祀する。

創建時期は不詳。戦国時代の現在地への遷座以前は、現在地の東南東500メートルほどの、沼津市楊原の地に鎮座していたという。

国史の初見は、『日本三代実録』貞観元年1月17日条の従五位上の神階を授けられたという記述。『延喜式神名帳』では伊豆国田方郡唯一の名神大社に列している。

また『伊豆国神階帳』では「従一位 やきわらの明神」の記載も見える。ただし現社地や旧社地(沼津市楊原)を含む狩野川左岸は、当時駿河国に属していたことから、比定には疑問も呈されている。

三島市北田町に、伊豆国三宮ともされる同名の神社がある。当社との関係や国史見在社・式内社の比定とも絡んで様々に指摘される。

かつては上香貫村・下香貫村・善太夫神田・我入道を氏子区域とし、古くは「大宮大明神」「香貫大明神」「松彦大明神」とも呼ばれていたという。

戦国時代に北条氏・武田氏の兵火に遭って社殿ほかを焼失し、天正18年(1590年)に楊原の地から現在地に再建・遷座。当時、社領500石、別当8坊、社家30あまりを有する大社であったと伝わる。

明治8年(1875年)2月、郷社に列した。沼津市下香貫の大朝神社とは、祭祀の母体・内容とも共有しており、一体の神社と考えられ、当社の山宮とも考えられている。

1月中旬の例大祭は大朝神社と共同で行う。両社の神輿が大朝神社近くの我入道浜に渡御し、ふんどし姿の男衆らが極寒のもと、神輿をかついだまま海の中に入る「御輿洗いの儀」が行われる。

境内社に吉田神社がある。安政5年(1858年)の疫病流行において、その退散を願い京都の吉田神社から勧請された。

当初は下香貫の掃除ヶ峰に祀られていたが、明治28年(1895年)に当社境内に移された。例祭は10月14日。

また、他の境内末社に八幡神社(誉田別命)、少彦名神社(少彦名命)、津島神社(須佐之男命)がある。

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楊原神社(沼津市) - 1月の例大祭では大朝神社と共同で神輿の海中渡御が行われる古社
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