北海道最古の神社、ニシン大漁で創建、蝦夷地最古の祭り「ヤマ」練り歩く
[住所]北海道檜山郡江差町姥神町99
[電話]0139-52-1900

姥神大神宮(うばがみだいじんぐう)は、北海道檜山郡江差町にある神社。参拝すれば、「蝦夷一之宮」などとある御朱印を頂ける。「北海開拓神」などが入ったオリジナルの御朱印帳がある。

近代社格では県社。現在は渡島国一宮(渡島一宮、檜山一宮)などとも呼ばれる北海道の一宮の一つ。

社伝によれば、鎌倉時代前期の建保4年(1216年)、江差の海辺・津花町に創建されたと伝える。北海道最古の神社。御祭神は天照皇大御神天児屋根神住吉大神

そのころ、津花の浜に「折居様」と呼ばれる老姥が庵を結んでいた。彼女には予知能力があり、天気や病気の流行を予言しては周囲に伝えるので、村の衆から何かと大事にされていた。

ある年の春先のこと。折居は神島(かむいしり)から光が発せられているのを見て驚き、光の源を訪ねて島に渡った。

島には老翁がおり、「この中の水を海に撒くと、鰊(ニシン)という魚が群れになってやって来る」と、彼女に瓶子を授けた。

その瓶子を持ち帰り、中の水を海に撒いたところ、話にたがわずニシンの大群が押し寄せ、村は豊漁に沸き立った。

ところが、村人が礼をしようと折居を訪ねたところ、彼女はいつのまにか姿を消していた。そこで、庵に残されていた神像を「姥神」として祀ったのが当社の始まりという。

現在境内にある折居社は、後に姥神を祀ったものであるという。

これとは別に、アイヌ時代の伝承が創建に関わっている、とする説がある。江差に住んでいたアイヌの老夫婦が食べるものがなく困っていると、神のお告げがあった。

これに従って舟楫で海をかき回すと、白波が盛り上がってニシンの群来を得た。老翁を祀ったのが鴎島(神威尻)の恵比須堂で、老婆を祀ったのが姥神大神宮であるとする。

どちらにしろ、ニシン大漁伝説が創建事由になっている。

正保元年(1644年)に現在地に遷座した。当地を治めた松前藩主松前氏からも崇敬を受け、9代藩主の道広は「降福孔夷」(福を降ろすことは孔だ夷なり)の扁額を奉納した。

やがて江戸時代中期になると、北海道近海にロシア船が姿を現すようになった。

寛政11年(1799年)、幕府の命で蝦夷地を巡視していた最上徳内は、扁額の「孔夷」を「紅夷」(ロシア人のこと)と読み誤り、その報告を受けた幕府は、松前藩はロシア人と密通していたのではないかとの疑いをかけられ、取り潰しの危機となった。

後の調査で、崩し文字のため「孔」が「紅」に見えてしまったということが判明し、藩の取り潰しは回避された。しかし、道広は扁額を現在の「降民殿」に取り替えた。世にいう降福孔夷騒動。

江戸時代後期の文化14年(1817年)、朝廷から正一位の神階が授けられた。

例祭は8月5日。毎年8月9日-11日に渡御祭が開催される。蝦夷地最古の祭りとされ、宝暦年間(1751年-1764年)に作られた神功山をはじめとする、豪華な13台のヤマ(山車)が町内を練り歩く。

毎年7月の第1土・日曜日には「かもめ島まつり」が開催される。町内の若者たちによって全長30メートルにおよぶ注連縄がかけられる。

当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。なお、渡島国一宮には他に松前郡松前町の徳山大神宮(渡島一宮)がある。

【ご利益】
大漁満足、商売繁盛、身体壮健
姥神大神宮 - 北海道最古の神社、ニシン大漁で創建、蝦夷地最古の祭り「ヤマ」練り歩く
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