「男・女体」に対して子孫を祀る中氷川神社、鎮火祭が有名
[住所]埼玉県さいたま市見沼区中川145-65
[電話]048-686-3567

中山神社(なかやまじんじゃ)は、埼玉県さいたま市見沼区中川にある神社。近代社格では村社。別称として中氷川神社とも呼ばれる。氷川神社(大宮区)・氷川女体神社(緑区)との関係が深い。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)。大宮区の氷川神社が夫スサノヲで「男体」、氷川女体神社が妻クシナダで「女体」に対して、当社御祭神がその子あるいは孫(子孫)に相当することから、「氷王子社(簸王子社)」と呼ばれる。

第10代崇神天皇2年の創建と伝えられ、氷川女体神社と同年代の創建となる。氷川女体神社は出雲大社からの勧請とするが、御祭神から考えれば、当社の方がマッチしている。近世、天正19年(1591年)、徳川家康から社領15石の朱印を受けた。

「中氷川」の由来は、氷川神社と氷川女体神社の中間に位置することによる、とも、あるいは社伝では、当社神事である鎮火祭の火により「中氷川」の氷が溶け、「中川」の地名になったとされる。

明治40年(1907年)、周辺の神社を合祀し、鎮座地の中川の「中」と、江戸期の新田開発以来、氏子付き合いを深めてきた上山口新田の「山」を合わせて、中氷川神社から現社号に改称した。

当社は氷川神社と氷川女体神社の直線上にあり、広大な見沼を挟んでちょうど中間に位置する。太陽は夏至に西北西の氷川神社に沈み、冬至には東南東の氷川女体神社から昇る。神池「御沼」として三社で一体とする説を補強している。見沼周辺の氷川三社である。

ただし、氷川女体神社が現在、氷川神社とともに武蔵国一宮を称しているのとは異なり、当社は特に一宮を称しているわけではない。

旧本殿が現本殿裏に立つ。安土桃山時代のもので、二間社流造杮葺。市指定文化財。

例祭は12月8日で、鎮火祭が行われる。炭火の上を素足で渡って無病息災と火除を祈願する。かつては、薪を平年は12段、閏年は13段積み上げて夜通し焚き、炭を神前に供えていたという。

古くから伝わる伝統の神事だが、祭事を取り仕切っていた講の跡継ぎがいなくなったことや、薪にするアカマツの入手が周辺で困難になったことなどから、1981年を最後に中断していた。2007年より再開。

境内社に、神明社・飯成社・淡嶋社・疱瘡守護社・磐社・石上社・竈神社・稲田宮主社の八社と、荒脛神社、稲荷神社がある。このうち、荒脛神社で氷川神社と、稲田宮主社で氷川女体神社と繋がっていると伝わる。

なお、所沢市に中氷川神社が山口三ケ島にあるが、別の神社。

【ご利益】
無病息災、病気平癒、医薬、縁結び
中山神社(さいたま市) - 「男・女体」に対して子孫を祀る中氷川神社、鎮火祭が有名
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