岐阜開拓の神々祀る古社、金運のオリジナル御守、岐阜まつりや骨董市
[住所]岐阜県岐阜市金町5-3
[電話]058-262-1316

金神社(こがねじんじゃ)は、岐阜県岐阜市金町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。毎週最終金曜日、金色の御朱印が授与され、人気がある。

鎮座地は岐阜市の中心部に位置し、名前の通り、古くから金運、財運に利益があるとされる縁起の良い名前を持つ神社

御祭神は金大神(こがねのおおかみ)を主祭神に、渟熨斗姫命(ぬのしひめのみこと)、市隼雄命(いちはやおのみこと)、五十瓊敷入彦命日葉酢姫命の4柱。

一説に渟熨斗姫命を金大神と称すとも、渟熨斗姫命以下四柱の総称が金大神であるともいう。

渟熨斗姫命は五十瓊敷入彦命の妃で、日葉酢姫命は母。五十瓊敷入彦命は伊奈波神社の御祭神であり、二人の子である市隼雄命は橿森神社の御祭神であり、両神社と深く関係している(岐阜市三社)。

伊奈波神社の縁起によれば、五十瓊敷入彦命は朝廷の命により奥州を平定したが、その成功を妬んだ陸奥守豊益の讒言により、朝敵とされて三野(美濃)の地で討たれた。

妃である渟熨斗姫命がその地を訪れ、五十瓊敷入彦命を慰霊しつつ生涯を終え、その間、私財を投じて町の発展に寄与したことから、後に「財をもたらす神」として祀られるようになったという。

神社としての設備は第13代成務天皇5年、朝廷より国造としてこの地に派遣された物部臣賀夫良命(もののべのおみかぶらのみこと)が国府をこの地に定めた。

そこで、金大神を篤く崇敬して創建されたと伝えられる。賀夫良命塚、奥津城跡として市の史跡に指定されている。

『日本三代実録』貞観11年(869年)12月25日の条に正六位上から従五位下に昇叙されたと見え、国史見在社。また、国内神名帳の『美濃国内神名記』厚見郡18社中に「正三位 金大神」と見える。

江戸時代初期の元和3年(1617年)、加納藩主奥平信昌の嫡子誕生に際し、その産土神として尊崇されて社殿の造替がされた。

以降、藩政時代を通じて松平氏や永井氏などの歴代加納藩主の崇敬を受け、天明7年(1787年)には除地4段歩(40坪、約40a)が寄進されている。

明治初年よりは上加納村(現鎮座地一帯)の総鎮守とされ、昭和3年(1928年)に県社に昇格した。

昭和62年(1987年)に高さ8メートル、幅8メートルの特殊鋼製の鳥居が建設された。平成27年(2015年)の塗り替え工事で、当初の焦げ茶色から金色の鳥居に塗り替えられた。

例祭は4月5日。伊奈波神社、橿森神社をはじめとする市内の多くの神社の例祭と同一で、岐阜まつり(日本遺産「信長公のおもてなし」が息づく戦国城下町・岐阜」」の構成文化財の一つ)。

神賑行事は4月第1土曜日と翌日曜日に行われる。また毎月9日、当社境内で骨董市が開催される。毎年11月23日には、こがねさんの秋まつり「新嘗祭」を開催している。

平成13年(2001年)から毎年6月1日(写真の日)頃に写真焼納祭が行なわれている。

末社に金祥稲荷神社、金高椅神社(高椅神社を勧請)、玉姫神社、物部神社、猿田彦神社、神明神社、秋葉神社、黒岩神社、賀夫良城社がある。

このうち、物部神社は『延喜式神名帳』にある「物部神社(美濃国・厚見郡)」に比定される式内社(小社)の論社。他の論社は、伊奈波神社。

付属施設である金会館は地域の交流の場として利用されている。

【ご利益】
金運、財運。勝運・金運・招福のオリジナル金守がある(公式HP
金神社(岐阜市)
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金神社(岐阜市)の御朱印