元の金切神社、明治期に四神社を合併して改称した、周防国総社
[住所]山口県防府市惣社町6-2
[電話]0835-22-3268

佐波神社(さばじんじゃ)は、山口県防府市惣社町にある神社。周防国総社で、近代社格では県社御朱印の有無は不明。

明治40年(1907年)、金切神社・浜宮神社・八幡宮・日吉神社の四社(いずれも明治6年(1873年)に村社に列格)を合併し、現社号に改称する。大正11年(1922年)に県社に列した。

金切神社は、創建年代不詳。第14代仲哀天皇が熊襲親征のため、筑紫に下向した時、崗県主がこの由を聞いて周防国佐波浦に参り迎えて、三種の宝物並びに魚塩の地を献じた。

こうして帰順の意を表したので、天皇は「是平定の兆祥なり」と喜び、賊軍退治の祈願のため、天照皇大神とその他13柱の神を祀ったのが、同社の創祀であるという。

以来、周防国の惣社(総社)として、古来から代々の国司・藩主を始め庶民の崇敬が厚い。総社の起源は明らかではないが、平安時代中期から後期にかけてと推定されている。

周防の国衙が、当社の直ぐ南に位置することから、国司の関与した管内諸社の神霊を当社に勧請し、奉幣・参詣の簡便をはかったものと思われる。御祭神の数の多さもそれを裏付けている。

また、当地の地名を惣社町というのもその証左とされる。ただし、総社である決定的な証拠はない。山口県神社庁では、以上を解説しつつ、県内で他に現存する総社は他にはない、と結論付けている。

浜宮神社の創建は第12代景行天皇12年、熊襲親征のため天皇自ら西下の時、この地において宗像三女神を祀ったことによると伝えられる。勝間神社、浜の宮などとも。

八幡宮の創建は、天平勝宝3年(751年)、大和国手向山(現 手向山八幡宮)より分霊を勧請したとされる。国衙に鎮座していたから衙頭八幡とも号した。

日吉神社の創建は年月日不詳。旧号は山王社。もともと多々良柳原に俊乗坊重源の勧請と伝えられる。

当社の現在の御祭神は、主祭神が天照皇大神、配祀神として下記を祀る。

素盞嗚尊、三穂津姫命、級長津彦命・級長津姫命、倉稲魂命表筒男命中筒男命底筒男命住吉三神)、大己貴命事代主命健御名方命武甕槌命經津主命田心姫命市杵島姫命湍津姫命(宗像三女神)、豊玉彦命保食命水分神大山咋神応神天皇、仲哀天皇、神功皇后

例祭は4月2日、秋祭は10月9日。なお、神奈川県の境川中流域に12社ある鯖(サバ)神社の一つ、藤沢市石川に当社と同音同字の神社があるが、当社と関係はないと思われる。

【ご利益】
地域・家内安全、開運、厄除け、諸願成就
佐波神社(防府市) - 元の金切神社、明治期に四神社を合併して改称した、周防国総社
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