『播磨国風土記』の御祭神と天日槍命の国占に由来、但馬国総社
気多神社 兵庫県豊岡市日高町上郷大門227
[住所]兵庫県豊岡市日高町上郷字大門227
[電話]0796-44-0292 - 神門神社

気多神社(けたじんじゃ、氣多神社)は、兵庫県豊岡市日高町にある神社。旧称は「惣社気多大明神」。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「気多神社(但馬国・気多郡)」に比定される式内社(小社)。但馬国総社で、近代社格では郷社。

御祭神は大己貴命。例祭は10月14日。社伝では、国司文書において初代神武天皇9年に気立(気多)の丘に創建された旨の記述があるとする。

『播磨国風土記』宍禾郡御方里条では、葦原志許乎命(大己貴命)と天日槍命が黒葛を投げて国占を争ったという伝説が記されている。

葦原志許乎命の投げた黒葛3本のうち1本は但馬気多郡に落ちたと伝えられ、郡名を冠する当社は相当古くから鎮座しているとされる。

ちなみに、他の2本は、養父郡の養父神社と、播磨国宍粟郡御方の御形神社。天日槍命は1ヶ所にしか落ちず、出石郡の出石神社

社名から、能登国一宮氣多大社(石川県羽咋市)、越中国一宮の氣多神社(富山県高岡市)をはじめ、各地の気多神社との関連が指摘される。

通常「気多神社」とネット検索すると、越中の氣多神社がヒットすることが多い。

平安時代頃から、各令制国の国府近くには国内の神を合祀した総社が設けられるようになるが、当社はそのうちの但馬国の総社とされる。

弘安8年(1285年)の「但馬国大田文」に見える「惣社」に比定されるほか、応永34年(1427年)の奉納銘を有する鰐口(当社蔵、豊岡市指定文化財)にも「但州気多惣社大明神」と記されている。

上記の「但馬国大田文」では、惣社社領として気多郡内に大般若田4町、三十講田1町5反、毘沙門堂田5町7反、毘沙門講田1町、三昧田1町7反60歩が記載されている。

中世における最盛期には鐘楼、朱塗り山門など七堂伽藍の整った大社だったが、豊臣秀吉の但馬侵攻 により灰燼に帰したという。

現社殿は延宝5年(1677年)の再建であり、その後、大正12年(1923年)に 大修築を行い、現在に到っている。

明治維新後、明治3年(1870年)に社名をそれまでの「惣社気多大明神」から現社号に改称し、明治6年(1873年)に郷社に列した。

境内社に八坂神社、須賀神社、八幡神社、稲荷神社、愛宕神社がある。

【ご利益】
縁結び
気多神社(豊岡市) - 『播磨国風土記』の御祭神と天日槍命の国占に由来、但馬国総社
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