日本武尊による創建、海神の娘で神武の母タマヨリを祀る下総国二宮
[住所]千葉県旭市飯岡2126-1
[電話]0479-57-2278

玉崎神社(たまさきじんじゃ)は、千葉県旭市飯岡にある神社。下総国二宮で、近代社格では郷社。参拝すれば、「下総国二之宮」などとある御朱印を頂ける。

社伝によると、第12代景行天皇40年の創建。日本武尊が東征の折、相模より上総に渡ろうとして海難に遭った際、弟橘媛が「これは海神の御心に違いない」と言って入水し、無事上総国に着くことができ。

そこで日本武尊は、その霊異を畏み、海上平安、夷賊鎮定のために、玉の浦の東端「玉ヶ崎」に、海神の娘であり初代神武天皇の母である玉依姫尊を祀ったと伝えられている。

後世「玉ヶ崎」を「竜王岬」と言うようになったのは、海神を竜宮の神に付会して「竜王の鎮まり坐す崎」としたためという。現在は日本武尊を配祀する。

『神道集』に「玉崎大明神者、此国二宮」「同本地十一面観音」とあり下総国二宮とされる。また永禄年間(1558年-1570年)には上総国一宮である玉前神社が戦火を避けて御神体を移したとも伝えられている。

中世には、三崎庄横根郷玉ヶ崎大明神、玉の浦総社玉ヶ崎大明神などと称せられ、武人の崇敬厚く、平貞盛、源頼義、源義家、源頼朝、日野俊基、千葉常胤などが参拝し、それぞれ祈願や報賽のために報幣や社殿の造営にかかわったとされる。

江戸時代に入ってからは、武人の崇敬はもとより、平田篤胤、平田鐵胤、斉藤彦麿、高田与清、大国隆正など文人が参詣している。

享保14年(1729年)には、地頭らが祈願したところ、神験あらたかで浜は大漁にわいた。そこで、時の神祇官領従二位卜部朝臣兼雄に告げて宗源の宣旨を乞われ、神階正一位を賜った。拝殿内の扁額はその時のもので、将軍徳川吉宗の筆と伝えられている。

明治になって、現社号に改称し、明治19年(1886年)1月18日に「郷社」に列せられ、同39年(1906年)12月25日に千葉県より幣帛供進神社に指定される。画家の竹久夢二なども参詣。

本殿は、元禄年間(1688年-1704年)に建てられた一間社流造で見事な彫刻が施されており、また拝殿は天保年間(1830年-1844年)の造営と伝えられ、いずれも県指定有形文化財(建造物)。社宝の古瀬戸狛犬も県指定有形文化財(工芸品)。

古来より宝物として「子産石(子宝石)」と称する霊石を所蔵している。現在も、電話などで予約すれば、「子宝石」を抱いたりしてご利益を得ることができる。

下総国二宮の論社は他に、船橋市の二宮神社がある。なお、千葉県内にはいすみ市にも同名神社がある。「玉崎神社」だけではウェブ検索も混乱し、当社ともゆかりのある玉前神社を中心に検索結果が表示される場合がある。

【ご利益】
海上安全・大漁満足・安産・子授け・厄除・方位除・ろくさん除など(公式HP
玉崎神社(旭市)
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