赤城山山頂に鎮座する沼を女神に神格化した赤城神社総本社の一社
[住所]群馬県前橋市富士見町赤城山4-2
[電話]027-287-8202

赤城神社(あかぎじんじゃ)は、群馬県前橋市富士見町、榛名山・妙義山とともに上毛三山の一つである赤城山山頂の大沼(おの)の畔にある神社。

延喜式』巻9・10神名帳 東山道神 上野国 勢多郡「赤城神社」に比定される式内社(名神大社)の論社で、上野国二宮、赤城神社総本社とも推測される。近代社格では郷社。

参拝すれば、御朱印を頂ける。沼(湖)を神格した赤城姫(赤沼大神)をあしらった艶やかなオリジナルの御朱印帳がある。

御祭神は、正殿に赤城大明神・大国主命磐筒男神・磐筒女神・経津主神を祀る。

相殿に徳川家康公・大山咋神を、小沼宮・豊受神社に豊受大神倉稲魂神を、御饌殿に大宣都比売神・保食神・豊受大神を、御酒殿に大物主神・豊受大神を祀る。

赤城大明神は、赤城山と大沼を神格化したものと考えられる。また、赤城神社の代名詞とも言える豊城入彦命も習合しているか。当社発表でも案内板や由緒、公式サイトなどで若干の異同がある。

創建は不詳。社伝では、豊城入彦命が上毛野を支配することになった際に山と沼の霊を奉斎したという。その後、第19代允恭天皇・第31代用明天皇の時代に社殿を創設、順次整備されたと伝える。

創祀当初は神庫山(ほくらやま:後の地蔵岳)中腹に祀られていたというが、大同元年(806年)、大沼の南の畔(現在の大洞旧社地)に遷座し、小沼の畔には小沼宮(このぐう:後の豊受神社)が建てられた。

その際の年号にちなんで当社周辺は「大洞(だいどう)」と呼ばれるようになったといい、通称として「大洞赤城神社」とも記される。

ただし「大洞」は「大堂」とも書かれたといい、山頂に堂があったとも伝わる。湖からは古くに祭祀に使われた鏡も発見されている。

『続日本後紀』では承和6年(839年)に従五位下、『日本三代実録』では貞観9年-16年(867年-874年)に神位昇叙、元慶4年(880年)に従四位上に叙せられた記事が載る。

長元9年(1028年)頃には正一位に叙せられたとされる。その後、中世には上野国二宮となったという。

ただしこれらに記述される赤城神を指す神社には論社があり、当社のことなのか、あるいは三夜沢赤城神社(赤城山山腹)、二宮赤城神社(赤城山山麓)、横室赤城神社などのことか異説がある。

当社は赤城神社の山宮と推定されている。山宮は神仏習合期に修験者が各地の霊山に登り修行の場とし、彼らの信仰の中心地となったことで発展していった。

天正4年(1576年)に里宮と推定される二宮赤城神社が、南方氏(北条一門)によって滅亡させられ、里宮が衰微、山宮の勢力、つまり当社と三夜沢が強盛となる。

ただし、二宮の山宮は三夜沢とされることが多く、赤城神社の山宮・里宮ははっきりしていない。

南北朝時代の『神道集』には「赤城大明神」に関する説話三話が載せられており、大沼・小沼に祠を祀る記述がある。この記述から、同書が書かれた頃は沼が祭祀の中心であったとも解される。

慶長2年(1601年)、厩橋(前橋)城主として入封した酒井重忠が、鬼門に当たる当社を篤く信仰し、歴代藩主もこれに倣った。

重忠は「正一位赤城大明神・赤城神社」の改築を幕府に申し出、その工事を完成したという。次の藩主・酒井忠世は、相殿に徳川家康を祀った。また酒井家により別当が前橋の寿延寺となった。

寛永18年(1641年)、社殿が落雷により全焼したため、酒井忠世により新築された。元来の山岳信仰と東照大権現(徳川家康)の合祀により、将軍家をはじめ諸国の大名の信仰も集めた。

卯月八日の「山開き祭」には、「赤城詣」として関東一円より多くの参拝者で賑わったという。この時期、幕府保護のもと各地に分社が勧請された。

寛政年間(1789年-1801年)には三夜沢赤城神社と「本社」「本宮」の文言を巡って争った。結局、文言使用を合議で決めるという和議が両者間で成ったのは1816年(文化13年)であった。

明治時代の廃仏毀釈により、寿延寺と切り離され、地元で廃仏毀釈を進めた人々の中から新たに神官を任じた。

郷社に列し、さらに三夜沢・大洞・二宮の三社を合わせて国幣中社にしようとする動きもあったが、終戦により実現はしなかった。

昭和45年(1970年)、現在の小鳥ヶ島(小鳥が島、厳島神社跡地)に遷座し、社殿が現存するものへ再建された。

「小鳥が島遺跡」として南北朝時代の経塚があり、応安5年(1372年)銘の法華経埋納を示す多宝塔下の地中から、銅経筒の残欠と鏡10面が出土している。

平成18年(2006年)には大洞御遷宮千二百年祭を機に大修復がなされた。山麓の小暮交差点に大鳥居がある。高さ21.3メートル、幅28メートル(神社の鳥居、高さランキング)。

例祭は5月8日で、山開き祭。8月第1土曜日には夏祭があり、8月8日が湖水祭で、沼神祭・沼鎮めの神事が斎行される。10月1日に神御衣の神事が行われ、10月体育の日が秋祭。

前橋市田口町149-1の住所として、全国東照宮連合会に加盟している。

【ご利益】
心身健康・無病息災・病気平癒・開運招福・家内安全・商売繁盛など(公式HP
赤城神社(大洞) - 赤城山山頂に鎮座する沼を女神に神格化した赤城神社総本社の一社
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