群馬県を流れる吾妻川沿いにある式内社「甲波宿禰神社」の論社四社
吾妻川沿い三社 - 群馬県を流れる吾妻川沿いにある式内社「甲波宿禰神社」の論社四社
吾妻川沿い三社(あがつまがわぞいさんしゃ)とは、群馬県吾妻郡東吾妻町から渋川市にかけて、吾妻川沿いにほぼ等間隔に並ぶ、甲波宿禰神社二社を含む三社の総称。そこから少し南に外れたところに、もう一社の甲波宿禰神社が鎮座し、吾妻川を渡った北方にある雨乞山など関連するものも含める。

吾妻川は、群馬県吾妻郡嬬恋村大字田代の長野県との境界に位置する鳥居峠に源を発し、吾妻郡内を東に流れ、渋川市白井と渋川市渋川の境界で利根川に合流する。

吾妻(あがつま)、嬬恋(つまごい)など、日本武尊ゆかり。当地では、鳥居峠こそが、日本武尊「吾嬬者耶」(あづまはや)と弟橘媛を追慕した地と伝わる。

吾妻川沿い三社は当サイトの造語だが、関連四社は、吾妻郡と渋川市にまたがる地に鎮座し、いずれも式内社「甲波宿禰神社」の論社。中には上野国四宮も含まれている。

この四社の中で、日本武尊の伝承がわずかにも残っているのは武内神社。ただし、弟橘媛を追慕した地の近辺にもかかわらず、別の妃との結婚譚として残っている。

本用語や、地図のポイントは、「甲波宿禰(かわすくね)神社の謎」などに記されているものを参考にして作成。こちらも参考になる。

川に対する祭祀が行われていたこと。甲波はかわ(川)。うち三社が吾妻川沿いに約2キロ前後の間隔で等間隔に鎮座していること。三社と吾妻川を挟み、特に雨乞い行事と縁深い川島との関連を感じさせる雨乞山があること。

この等間隔は、うち一社の旧地とすれば、より正確性を増すこと(川島が、天明3年(1783年)浅間山噴火の影響で現在地に遷座)。

この三社は、いずれも「島」という地名に鎮座していること。もう一社は、式内社名を共有しているのに、吾妻川からは少し離れており、また地名の共通点もないこと。

などなどが主なポイントか。

武内神社だけ、なぜ式内社名にならなかったのか。甲波はかわ(川)であれば、「川」と普通に表記しなかったのはなぜか。「甲波宿禰」は、直感的に人名(建内宿禰と同一人物かどうかはさておき)を感じさせる、などが個人的な興味。

甲波宿禰神社(箱島)

甲波宿禰神社(箱島) - 小野金善が川島から勧請した宿祢大明神、大ケヤキやコナラなど
[説明]小野金善が川島から勧請、コナラ等
[社格]式内 - 村社
[住所]吾妻郡東吾妻町箱島1136
[電話]0279-59-3111

武内神社(祖母島)

武内神社(祖母島) - 日本武尊の妃の一人が眠る塚が地名由来、建内宿禰を祀る式内古社
[説明]日本武尊ゆかり、建内宿禰を祀る
[社格]式内 - 村社
[住所]渋川市祖母島499
[電話]-

甲波宿禰神社(川島)

甲波宿禰神社(川島) - 上野国四宮、宝亀2年(771年)創建の吾妻川沿い三社の一社
[説明]宝亀2年(771年)創建の古社
[社格]式内 - 上野国四宮 - 郷社
[住所]渋川市川島1287
[電話]0279-232-9098

甲波宿禰神社(行幸田)

甲波宿禰神社(行幸田) - 合祀した諏訪神社の獅子舞で有名な、吾妻川沿いではない論社
[説明]獅子舞、吾妻川沿いではない論社
[社格]式内
[住所]渋川市行幸田673
[電話]-

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