ほいやら踊と、相撲の源流・ネッテイ相撲の神事で知られる名神社
[住所]兵庫県養父市奥米地字中島235
[電話]079-664-0285 - 養父市商工観光課

水谷神社(養父市)(みずたにじんじゃ)は、兵庫県養父市奥米地にある神社。御朱印の有無は不明。

『延喜式神名帳』にある「水谷神社(但馬国・養父郡)」に比定される式内社(名神大社)。ただし、『延喜式臨時祭』「名神祭」には掲載されていない。但馬国三宮で、近代社格では村社。

「みたにじんじゃ」とも。奥米地集落の北西部、三段に分かたれた境内地の最上段に東面して鎮座する。

御祭神は天照皇大神。しかし、「水谷」は「水垂」で水神とする説、「水谷」は「みたに」と訓み「御谷」の謂であるとする説、保食神とする説などがある。

創祀年代などは不明。保食神(うけもちのかみ)が人々に稲を始めとする五穀の栽培法を教えたため、地名を「米地」と称し、同神を祀ったものとの説がある。

当初は現鎮座地の南方、奥米地と中米地の境界を成す谷を「水谷」といい、その谷奥に懸かる滝の更に上部に鎮座していたという。

「但馬国の水谷神社」としては、弘安8年(1285年)の『但馬国大田文』に「水谷社」、嘉元4年(1306年)の『昭慶門院領目録案』に「水谷大社」などと見えるが、これは今の養父神社のこととされる。

当社は、同じく但馬国三宮とされる養父神社への合祀や再度の分祀などを繰り返した可能性が指摘されている。

分祀後、大嵐によって社殿が流失、その社殿が流れ着いた米地川沿いの平地において奉斎されることとなったが、宝永7年(1710年)に現在地へ遷座されたという。

明治6年(1873年)10月に村社に列せられた。

例祭はもと9月9日(旧暦)に行われ、その後10月17日となり、同月の23日ないしは24日へと変遷を重ね、現在は10月体育の日に行われる。

境内社の田和神社の秋祭りも兼ね、ほいやら踊とネッテイ相撲、子供相撲の奉納が行われる。

ほいやら踊は、笹踊りとも呼ばれ、田和神社前で袷に兵児帯を締め、腰に手拭いと煙草入を提げて下駄を履き、長さ3メートル程の篠竹を手にした12人の男性によって踊られる。

その後にネッテイ相撲が行われる。「ヨイ、ヨイ、ヨイ」の掛け声で左右左と四股を踏み、「ヨイ」と声を掛けて右足を左前に踏み出しながら右手を拳に握って突き出すなどの動作で進行していく。

勝敗を決するものでなく、土俵も行司も無い特殊な相撲で、土地の悪霊を鎮めるとともに作物の稔りを感謝する神事、あるいは呪術的な相撲神事と見られ、平安時代に宮中で行なわれた相撲節会の流れを汲む現行の相撲の原型ともされる。

「養父のネッテイ相撲」という名称で国の「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選択され県の無形民俗文化財に指定にされている。

境内社として、本殿左手(南)に三柱神社と田和神社が、右手に山野口神社と八柱神社が鎮座する。

【ご利益】
地域・家内安全、五穀豊穣・商売繁盛
水谷神社(養父市) - ほいやら踊と、相撲の源流・ネッテイ相撲の神事で知られる名神社
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