534年に社殿が創建された美作国二宮、現社殿も江戸初期の再建
高野神社(岡山県津山市二宮601)
[住所]岡山県津山市二宮601
[電話]0868-28-0915

高野神社(たかのじんじゃ)は、岡山県津山市二宮にある神社。御朱印の有無は不明。

延喜式』巻9・10神名帳 山陽道神 美作国 苫東郡「高野神社」に比定される式内社(小社)の論社。美作国二宮で、近代社格では県社

津山市西部に位置し、北西に神山を背負い、南に久米の佐良山を望み、眼下に吉井川を見下ろす地に鎮座する。古い時代には「こうの」とも読まれたとされる。

美作国二宮とされた古社であり、一宮の中山神社と総社の美作総社宮とともに美作三大社の一社に数えられる。

主祭神は彦波限建鵜葺草葺不合尊。相殿神に美作総社宮の御祭神である大己貴命(おおなむちのみこと)と、中山神社の御祭神である鏡作命(かがみつくりのみこと)を祀る。

社伝では、当社の祭祀は吉井川の河原にあった碫馭盧岩(おのころいわ)に始まり、この岩を磐境として祀っていたという。後、第27代安閑天皇2年(534年)に社殿が創建された。

当社の鎮座地は苫西郡であるため、式内社「高野神社」の論社には、苫東郡に鎮座する高野神社(津山市高野本郷)とする説もあるが、遅くとも平安時代後期から美作国二宮として栄えていた当社を比定する説も有力。

鎌倉時代以降は武家からの崇敬も篤く、源頼朝・山名時春・毛利元就・小早川隆景などが社殿造営や寄進を行なったと伝える。

江戸時代の寛文3年(1663年)、津山藩2代藩主森長継による再建となる、この地方独特の中山造の本殿は岡山県指定重要文化財となっている。後に藩主となった松平氏からも崇敬された。明治維新後、県社に列した。

木造神号額や、応保2年(1162年)筑後講師厳成の銘がある木造随身立像 2躯、一対は10世紀頃、もう一対は12世紀頃の作という木造獅子 2対が国の重要文化財に指定されている。

当社鎮座地の森は宇那提森と呼ばれた。『五大集歌枕』や『八雲御抄』で美作国の歌枕として記載されている。美作国の「うなての社」で雨乞いをする様子を記す文献も残る。

伝承によると、この森には大蛇が棲んでおり、人畜に害をもたらし当社の扁額を舐めまわしたと言われる。当社所蔵文化財のうち藤原行成筆と伝える扁額「正一位高野大明神」が残っている。大蛇は森で殺されたといい、現在も残る蛇塚・胴塚に埋められたという。

宇那提森は戦国時代に砦構築のため宇喜多氏により伐採され、現在は石鳥居付近に一本のムクノキのみが残され、市の天然記念物に指定されている。

10月22日に近い日曜日に秋祭が行われ、7月18日に夏祭が斎行される。

【ご利益】
安産・厄除け・病気平癒・交通安全
高野神社(津山市二宮) - 534年に社殿が創建された美作国二宮、現社殿も江戸初期の再建
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