別府温泉の総鎮守、「別府温泉まつり」の開催地で、ひょうたん石なども
[住所]大分県別府市朝見2-9-29
[電話]0977-23-1408

八幡朝見神社(はちまんあさみじんじゃ)は、大分県別府市朝見にある神社。単に朝見神社とも、また朝見八幡宮とも。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、大鷦鷯尊(仁徳天皇)、誉田別命(応神天皇)、足仲彦命(仲哀天皇)、気長足姫命(神功皇后)、大歳神迦具土命大穴牟遅命少彦名命

建久7年(1196年)、大友能直が豊前・豊後の守護となり、入国の際に鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請した。能直は領内に「七社の制」を定め、七社の八幡宮(豊後八幡七社)を創建または再建した。

当社はこの時に創建されたものと伝えられ、以降大友家の崇敬を受けた。創建の際、神輿の供をして着任した鶴岡八幡宮の神職、福田土佐守源高政が当社の神主となり、以降高政の子孫が奉職し、姓を福田から神(こう)に改めて現在に至る。

当初は龍ヶ岡(現在の乙原)に社地があったが、鶴見山の噴火により社地が崩壊したため、正平3年(1348年)に現在地に遷座した。

古代より速見の地に温泉があることは広く知られており、『豊後国風土記』や『万葉集』、『伊予国風土記』逸文などに温泉に関する記述が見られ、「朝見」も「熱海」が変化したものともいわれる。

速見郡朝見郷の浜脇は大友氏が最初に九州に上陸した地とされており、大友頼康が日名子太郎左衛門尉清元を温泉奉行とし、朝見川、永石川、流川沿いなどに湧出する温泉が整備させた。

江戸時代には当社は別府の総鎮守となり、門前町の浜脇温泉、そして別府温泉も温泉番付の上位に名を連ねるほどに栄えた。

慶長3年(1598年)に別府湾に震災が起こり、久光島陥没などの変事と共に、本殿や什宝旧記の多くが壊滅した。寛文10年(1670年)に社殿が再興され、元禄9年(1696年)、神殿と楽堂が新築、同年4月晦日に還宮の祭事が斎行された。

明治6年(1873年)、村社に列せられ、別府、浜脇の総社となり、大正7年(1918年)には郷社に、昭和12年(1937年)には県社へと社格を進めた。大正11年(1922年)には社殿の大改築が、昭和2年(1927年)に斎殿と能楽殿が新築された。

第二次大戦後、別府温泉の鎮守神である温泉神社を合祀した。この温泉神社で行われた「豊年祭り」が現在の「別府温泉まつり」のルーツで、4月上旬の別府温泉まつりの際、開会奉告祭と温泉神社神輿の御神幸祭は当社で執り行われる。

別府市御幸に鉄輪温泉神社とも呼ばれる同名の神社があるが、直接的な関係はない。

例祭は10月19日。

樹齢1000年といわれる御神木の楠や、表参道の夫婦杉(門杉)、お参りの際に踏むと縁起が良いといわれる「瓢箪石(ひょうたん石)」や「杯石(さかずき石)」がある。

また、「不治の病の父親が、親孝行な萬太郎が汲んできた朝見の清水を飲むとすぐに全快した」という伝説がある「萬太郎清水」がある。

なお、鉄輪温泉の鎮守神として、当社合祀の温泉神社と同名の神社が別府市御幸にあるが、直接の関係はない。

【ご利益】
病気平癒、厄除け、身体壮健、リフレッシュなど
八幡朝見神社 - 別府温泉の総鎮守、「別府温泉まつり」の開催地で、ひょうたん石なども
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八幡朝見神社の御朱印