将門の乱を鎮めた藤原秀郷が神恩感謝で創建、明暦の大火乗り越え江戸期に興隆
[住所]東京都港区新橋2-15-5
[電話]03-3591-7865

烏森神社(からすもりじんじゃ)は、東京都港区新橋にある神社。御祭神は、倉稲魂命(稲荷神)・天細女命瓊々杵尊。参拝すれば、御朱印を頂ける。

椙森神社柳森神社とならぶ江戸三森の一社。その他、道灌七稲荷江戸七森江戸八森、江戸廿一森などの呼び方も存在するが、いずれにも含まれる。東都三森社の一つ。

社伝によれば、天慶3年(940年)、平将門が乱を起こした時、鎮守府将軍藤原秀郷(俵藤太)が武蔵国のある稲荷神社に戦勝を祈願したところ、白狐が現れて白羽の矢を秀郷に与えた。

その矢によって速やかに乱を鎮めることができたので、それに感謝してどこかに稲荷神社を創建しようと考えていたところ、秀郷の夢に白狐が現れ、神鳥が群がる場所が霊地であるとお告げした。

秀郷が現在地である桜田村の森に来た所、お告げの通り烏が群がっていたので、そこに神社を創建したのが当社の始まりであるという。平将門ゆかり一瓶塚稲荷神社にも当社に関わる社伝が残る。

江戸時代の明暦の大火では、周囲一帯焼け野原になる中で、当社は無事だったという。

この神威に対して、江戸の町民から多くの崇敬を受け、稲荷ブームの際には、初午の稲荷祭の賑わいは「江戸で一二を争うものであった」とされる。

新橋には他に日比谷神社があり、大祭は日比谷神社と交互に隔年で行われる。当社の大神輿は1930年に名人・山本正太郎(通称だし鉄)によって作られた巨大なもの。「だし鉄の最高傑作とも言われている」という。

境内に木遣塚あり。また「心願色みくじ」などが頒布されている。

文化財として、足利成氏文書がある。区指定文化財。

享徳4年(1455年)、鎌倉公方足利成氏が書いた神願書で、翻刻すると「稲荷大明神神願書事 今度発向所願悉有成就者当社可遂修造願書之状 如件 享徳四年正月五日 左兵衛督源朝臣成氏」となる。

例祭は5月4日-6日。夏祭りのはしり烏森祭として全国的に有名である。

御朱印は、通常版と、大祭限定、ひなまつり限定がある。いずれも赤・黄・青・緑の4色の巴紋と烏をあしらった社紋が四隅に配置されている。

無病息災の御守を併せて授与される。また、色みくじ・鈴守を受けた方にはその証としてそれぞれの透かし印も押される。

縁起としては、水稲荷神社と共通する。加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として北斗七星の形に配置されているとの指摘があるが、当社は特段その中に含まれない。

ただし、水稲荷神社と当社を結ぶライン上は、上記の北斗七星の魔方陣で、ちょうど将門の頭部と将門の胴体を象徴するような神社群を分断するという指摘がある。秀郷は霊的にも将門抹殺の術を施したことになる。

【ご利益】
必勝祈願、商売繁盛、技芸上達、家内安全(公式HP
烏森神社 - 将門の乱を鎮めた藤原秀郷が神恩感謝で創建、明暦の大火乗り越え江戸期に興隆
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