新宿神楽坂近くに鎮座、区内最古の石造鳥居、1664年造立の特殊な庚申塔
[住所]東京都新宿区筑土八幡町2-1
[電話]03-3260-2701

筑土八幡神社(つくどはちまんじんじゃ)は、東京都新宿区筑土八幡町、神楽坂にほど近い地にある神社。江戸時代までは筑土八幡宮と呼ばれていた。御祭神は応神天皇神功皇后仲哀天皇。参拝すれば、御朱印を頂ける。

嵯峨天皇の時代(809年-823年)に、付近に住んでいた信仰心の厚かった老人の夢に現われた八幡神のお告げにより祀られたのが起源。

その後、慈覚大師(円仁)が東国へ来た際に祠を立て(850年前後)、伝教大師(最澄)の作と言われた阿弥陀如来像をそこに安置したという。

文明年間(1469年-1487年)に当地を支配していた上杉朝興によって社殿が建てられ、この地の鎮守とした。上杉朝興の屋敷付近にあったという説もある。

元和2年(1616年)にそれまで江戸城田安門付近にあった田安明神が当社の隣に移転し、津久戸明神社となった。

その後、昭和20年(1945年)に第二次世界大戦による戦災で全焼。津久戸明神社の方は千代田区九段北に移転し、築土神社として現在に至る。

境内社として、宮比神社がある。御祭神は宮比神で、大宮売命(おおみやのめのみこと)・天細女命(あめのうずめのみこと)ともいわれる。古くから下宮比町一番地の旗本屋敷にあったものを、明治40年(1907年)に現在地に遷座した。

階段状の参道途中にある石造鳥居は、新宿区内最古の鳥居。享保11年(1726年)、当時常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納された。総高は375メートル。区登録有形文化財。

また、寛文4年(1664年)造立の庚申塔も指定有形民俗文化財。太陽と月・桃の木・二匹の猿をあしらった舟型の石造庚申塔で、三猿でなく二猿であり、牡猿・牝猿がどちらも桃の枝を持った姿で表現されている点が、きわめて珍しい。

当社の裏手に住んでいた、 唱歌『金太郎』『浦島太郎』などを手がけた作曲家である田村虎蔵の顕彰碑がある。昭和40年(1965年)に建立。

例祭は9月15日。平成24年(2012年)には白木大神輿が21年ぶりに出輿し、氏子町内を渡御した。台輪四尺(121センチ)、慶応2年(1866年)建造。

加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)において、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があるが、当社は、その中で北斗七星の柄杓の柄の一つアリオスを構成しているとされる。

その場合、江戸期の田安明神(現 築土神社)の移転は、この魔方陣完成のための措置と見る。当社そのものに将門と直接結びつくような由緒は伝わっていないが、説としては、当社にも将門が合祀されているとも。

【ご利益】
厄除け、武運長久
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