人麻呂の領地・居住地・改葬地、影現寺に隣接、風変わりな祭の名
[住所]奈良県葛城市柿本162
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柿本神社(かきのもとじんじゃ)は、奈良県葛城市柿本にある神社。近代社格では村社。和歌三神の一柱である歌聖・柿本人麻呂を御祭神とする。御朱印の有無は不明。

周辺の地名は柿本で、『万葉集』最高の歌人とされた柿本人麻呂が持統天皇から領地を賜って居住した地という伝承がある。

石見国で死去した人麻呂を、宝亀元年(770年)にこの地に改装し、その傍らに人麻呂堂と呼ばれた社を建立したのが創祀とされる。

境内を共有する影現寺は斉衡2年(858年)に弘法大師空海の直弟子である真済上人によって開かれた十一面観音菩薩を本尊とする高野山真言宗の寺院。

一説には、真済上人は人麻呂と縁続きともされ、人麻呂の菩提を弔うために、また、神格化された人麻呂を祀る当社を守る神宮寺として建立されたともいう。寺の北側100メートルのところにある田中の塚は、真済の墓と伝えられている。

影現寺は柿本寺とも呼ばれることがある。ただし、著名な柿本寺は跡として現在の天理市に残る。秘仏の人麻呂像が今に伝わるとされる。

延宝7年(1679年)、播州明石から郡山藩主に転封となった松平日向守信之は、領内に柿本村があり人麿の墓と伝えるところがあることを聞き、天和元年(1681年)10月中旬、「柿本大夫人麻呂之墓」の碑を建立し、現存する。

信之にとっては、転封前の明石にもある柿本神社(人丸神社)との縁を感じたかもしれない。明石柿本神社はその頃武家・皇室の崇敬を受け極めて興隆していた。

元禄16年(1703年)には「和州柿本影現寺柿本祠堂法楽和歌」として歌会がもたれ、「人麿影堂奉納五十音和歌」の献歌が残る。

境内には、『万葉集』に掲載された人麻呂の歌である、下記の歌碑もある。
春楊(はるやなぎ) 葛木山に たつ雲の 立ちても坐ても 妹をしそ思ふ
影現寺とともに、今でも人麻呂の命日である毎年4月18日に、ちんぽんかんぽん祭(チンポンカンポン祭)が行われる。往事には神事において太鼓や鉦、笛を打ち鳴らしており、この名はその音に由来する。

現在でも仏式と神式が混ざった祭典になってはいるが、太鼓や鉦、笛を打ち鳴らすようなことはない。

柿本村での伝承では、人麻呂は石見守となった当村出身の柿本宗人の子で、母の死後柿本邑に住み、依佐良姫を娶り、当地で死んだという。依佐良姫の墓は根成柿村(現 大和高田市根成柿町)の天満神社の境内にあるとされ、天満神社でも毎年陰暦3月18日にちんぽんかんぽん祭が執り行われるという。

【ご利益】
学問・文芸の神
柿本神社(葛城市) - 人麻呂の領地、居住地、改葬地の伝承が残る、影現寺とともに共存
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