歌聖・柿本人麻呂、和歌・学問・安産・火災除・夫婦和合の御神徳
[住所]兵庫県明石市人丸町1-26
[電話]078-911-3930

柿本神社(かきのもとじんじゃ)は、兵庫県明石市人丸町にある神社。近代社格では県社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、和歌三神の一柱である、柿本大明神とも称される、柿本人麻呂朝臣。人麻呂=人麿=人丸で、人丸神社とも呼ばれ、地元では「人丸さん」として親しまれている。

歌聖であることから歌道の神としての信仰を集め、そこから学問文芸の神としても崇められる。

また「人麿(ひとまる)」を「人生まる(ひとうまる)」と解し安産の神、「火止まる(ひとまる)」と解し火防の神としての信仰もある。

社伝によれば、仁和3年(887年)に明石の岡(赤松山とも。現 県立明石公園)にあった楊柳寺(後の月照寺)の覚証という住僧が、夢中に柿本人麻呂の神霊がこの地に留まっているのを感得。

寺の裏の古塚がその塚であることが判明したため、塚上に人麻呂を祀る祠を建てて寺の鎮守としたことに始まる。

文明8年(1476年)4月、慶範という僧侶が大和添上郡の柿本寺(しほんじ。現 奈良県天理市に寺跡がある)の復興を企図した勧進状に、明石浦にも人麻呂の墓所があると記されている

天正9年(1581年)には豊臣秀吉が「播州明石の人丸は和歌第一の神仙」であると大明石村の新たに開墾した田地30石を寄進し、江戸時代に入って慶長17年(1612年)にもこれは安堵された。

元和5年(1619年)、小笠原忠真が明石の岡に明石城を築城することになると、同7年に替地として現在地である小山の崖上に月照寺と共に移祀され、新たに社領40石が寄進された。

旧地にも人丸社が残されて明石城の鎮守とされ、これは後に廃絶したが人丸塚は本丸跡に現存している。

柿本人麻呂の死去から1000年に当たるとされた享保8年(1723年)、霊元上皇の執奏により正一位の神階と「柿本大明神」の神号が宣下された。

また、女房奉書が下賜され、命日とされた3月18日に盛大な一千年祭が営まれた。

以来同日を例祭日と定め、古今伝授や天仁遠波(てにをは)伝授が行われる際には必ず奉告がなされることとなった。

現在は、新暦換算も含め、4月第2日曜日が例祭で、神輿が繰り出され、子供神輿と合わせて計5基が市内を巡行する。

享保8年年6月、霊元上皇が撫物を下付するとともに白銀3枚を寄せて3箇年の祈祷を命じると、桜町、桃園、後桜町天皇も当社を勅願所と定め、以降白銀奉納と撫物を下しての祈祷が恒例とされた。

宮廷人や歴代明石藩藩主からも和歌の神としての崇敬を受けた。

明治7年(1874年)2月に村社に列し、同12年6月に郷社、大正15年(1926年)3月には県社に昇格。

日本海軍の工作艦「明石」の艦内神社には明石神社が分祀されたともされるが、進水式に呼ばれたのは当社の宮司であり、「明石」の艦内神社の勧請元を当社とする説もある。

そうであれば、艦艇を擬人化したキャラクタである艦娘(かんむす)を強化・育成、正体不明の敵艦を撃破していくゲーム・アニメ『艦これ』ゆかりともなる。

上述の春の例祭の他、10月18日には秋季除火大祭が斎行され、春秋二季には和歌の神にちなんだ和歌献詠祭も行われる。

国の重要文化財として、後桜町天皇宸翰短籍(45葉)、仁孝天皇宸翰及一座短籍(49葉)がある。

境内末社に、天神社(菅原道真公)、三宝荒神社(竈神)、五社稲荷社(稲荷大神)の三社がある。

また、境内には、御祭神が石見国からの帰京の途次に同国から持参してこの地に植樹したと伝わり、安産に霊験のある神木筆柿がある。

盲人が神験によって眼が開いた縁起のある盲杖桜、赤穂浪士の間瀬正明が主君(浅野長矩)の仇討を祈願して植えたという八房梅もある。

さらに、人丸山西麓の西鳥居前に湧く地下水で、延命長寿の水として知られる亀の水(亀齢水)などがある。

【ご利益】
学問・安産・火災除、夫婦和合(御祭神は愛妻家)など(公式HP
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柿本神社(明石市)の御朱印
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