清和源氏始祖を祀る源氏三神社の一つ、社殿は宝永年間、例祭は宝永祭
[住所]京都府京都市南区八条町509
[電話]075-691-0310

六孫王神社(ろくそんのうじんじゃ)は、京都府京都市南区八条町にある神社。近代社格では郷社。京都十六社朱印めぐりの一社で、参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、六孫王大神(ろくそんのおうおおかみ)、天照皇大御神、八幡大神。六孫王大神は源経基(経基王)を指す。経基は清和天皇第六皇子の貞純親王の子で、天皇の孫であることから「六孫王」と称される。

御祭神が清和源氏始祖であるため、多田神社(兵庫県川西市)、壺井八幡宮(大阪府羽曳野市)とともに源氏三神社の一つとされる。

神紋は牡丹。経基王が牡丹が非常に好きで、邸宅に牡丹を植え、その花園が嵯峨まで続いているほどあったとも伝わる。

社伝では、境内は経基の邸宅「八条亭」の跡地であるといい、応和元年(961年)に経基が臨終の際に「死後は龍神となって邸内の池に住んで子孫の繁栄を祈るから、この地に葬るように」と遺言したという。

応和3年(963年)9月に嫡子の満仲が現社地に経基の墓所を建立し、その前に社殿を造営したのが当社の創建。本殿後方に現在も残る石の基壇は、経基の廟であると伝わる。

鎌倉時代には、源実朝の妻の本覚尼がこの地に遍照心院(大通寺)を建立し、当社はその鎮守社とされた。その後は戦乱などにより社殿を失い、経基の墓所だけが残された。

元禄13年(1700年)からは、江戸幕府により社殿の再興が進められた。元禄14年(1701年)には正一位の神階と権現号が授けられる。社殿の再建は宝永4年(1707年)をもって完了し、その社殿が現在まで伝わる。京都市指定有形文化財。

その後は江戸幕府の滅亡とともに衰微し、また神仏分離により大通寺とも分離した。大通寺境内は、明治44年(1911年)に国鉄の鉄道用地となったため移転している。

明治6年(1873年)8月に村社に列し、明治14年(1881年)12月に郷社に昇格。

昔は、六ノ宮権現とも呼ばれ、『今昔物語』に「六の宮」があり、それを基にした芥川龍之介の『六の宮の姫君』がある。小泉八雲の『怪談』には、「弁天の同情」と題して不思議な夫婦の出会いの話が紹介されている。

例祭は10月9日・10日で、社殿復興の年号にちなみ宝永祭と呼ばれる。

摂末社に、五座神社、多田神社、貞純神社、竹生島神社、弁財天社がある。

御祭神が関東に赴いた際、平将門の乱のきっかけを作る形になるが、その時に創建した神社としては、東京都新宿区の東山藤稲荷神社がある。

【ご利益】
家運隆昌、子孫繁栄(公式HP
六孫王神社 - 清和源氏始祖を祀る源氏三神社の一つ、社殿は宝永年間、例祭は宝永祭
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