市内で最も早く開花する鵜飼桜、春秋季の献灯や子供相撲など河童祭り
[住所]岐阜県岐阜市御手洗393
[電話]058-264-4321

岐阜護國神社(ぎふごこくじんじゃ、岐阜護国神社)は、岐阜県岐阜市御手洗にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は神社本庁の別表神社全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

岐阜城の築かれた金華山の北麓に鎮座する。明治維新以来の岐阜県出身の護国の英霊3万7800余柱を祀る。

通常は岐阜県護国神社のように命名されるが、後述のように岐阜県の場合はいくつかの護国神社が創建されており、当社は岐阜県というよりは岐阜市という意味合いの方が強いか。

春は桜の名所として境内の早咲きの鵜飼桜(江戸彼岸桜)が有名である。岐阜市内で最も早く開花するこの桜は、幹周り約2.5メートル、樹高約8メートル、樹齢100年以上と古く、春の訪れと共に多くの花を咲かせる。

かつては桜の咲き具合で鵜飼の鮎の漁獲量を占ったので鵜飼桜の名が付いたという。岐阜公園・長良川堤の桜と併せて、飛騨・美濃さくら三十三選の一つに選ばれている。

近年では、本殿での神前結婚式が数多く執り行われており、平和を打ち立てる神、家内安全の神として崇敬されている。併設のせいらん会館では結婚披露宴も行われる。

岐阜県内には、明治3年(1870年)に大垣城内に大垣招魂社(後の濃飛護國神社)、明治42年(1909年)に高山城址に飛騨招魂社(後の飛騨護國神社)が創建されていたが、岐阜市ほか10郡には招魂社がなかった。

日露戦争後の明治41年(1908年)、岐阜市郊外の稲葉郡北長森村(現 岐阜市野一色)に陸軍歩兵第68聯隊が設置され、大正6年(1917年)に稲葉郡那加村(現 各務原市)に陸軍各務原飛行場が開設されると、当地出身の殉国者を祀る招魂社建立の機運が高まった。

昭和12年(1937年)の支那事変勃発に伴い、昭和14年(1939年)3月10日に2市10郡209ケ村の代表者が内務省へ創立を出願し、内務大臣から創立許可を受けた。

翌昭和15年(1940年)11月に社殿が竣工、同19日に鎮座の儀、翌20日に幣帛供進の儀が執り行われて創建された。なお、昭和14年(1939年)4月1日から招魂社は護國神社と名称が改められたため、当社は創建当初から現社号であり、内務大臣指定護国神社に指定された。

第二次世界大戦後の一時期は美濃御霊神社と改称していたが、主権回復後は元の名に復した。平成7年(1995年)には終戦50周年事業として外拝殿が竣工している。

境内に、戦災犠牲者(空襲や海外移民、敵味方を問わず)及び無縁の遺族や遺骨を祀る鎮霊社があるほか、英霊の霊璽簿(名簿)を護る耐火耐震造の奉安殿、河童大明神を祀る河童堂、防人像などがある。

例祭は春季が4月12日、秋季が10月5日。それらに合わせて、献灯まつりが4月1日-12日、9月25日-10月5日に行われる。また、7月中旬には河童祭りが行われ、子供たちが好物の胡瓜を供え、相撲大会などを催して水難等の災難除けや無病息災を祈願する。

【ご利益】
安産、厄祓い、交通安全、家内安全、商売繁盛、必勝祈願、病気平癒など(公式HP
岐阜護國神社 - 市内で最も早く開花する鵜飼桜、春秋季の献灯や子供相撲など河童祭り
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岐阜護國神社の御朱印