西南の役以来の戦争で戦死した山梨県の英霊を祀る、摂社に山梨宮も
[住所]山梨県甲府市岩窪町608
[電話]055-251-3632

山梨縣護國神社(やまなしけんごこくじんじゃ、山梨県護国神社)は、山梨県甲府市岩窪町にある神社。近代社格では内務大臣指定護国神社、現在は神社本庁の別表神社全國護國神社會の一社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。旭日旗の勝守があることでも知られている。

現鎮座地である岩窪は、甲府藩主柳沢氏の菩提寺である黄檗宗寺院永慶寺の所在地で、永慶寺は享保9年(1724年)の甲斐国一円が幕府直轄領化された際に大和郡山に移転された。

明治12年(1879年)12月、山梨県神道事務局の発議によって、甲府市太田町公園隣接地に招魂社が建立され、西南の役に出征して戦没した山梨県出身者の御神霊を奉斎し、盛大に慰霊の祭典が執行された。

明治41年(1908年)、甲府連隊創設にともない、太田町遊亀公園内に招魂堂を再建し、西南の役以来の戦争で戦没した英霊を合祀。

昭和14年(1939年)に創建会が設立され、昭和17年(1942年)12月7日、躑躅ヶ崎館の南麓において地鎮祭が執行され、昭和19年(1944年)11月38日、内務大臣の指定を受け創建。

同29日鎮座祭が行われ、西南の役以来の戦争、事変などで戦死した英霊の御神霊を招魂堂より奉還し、同月30日、竣工奉告祭及び例大祭が執行された。

昭和21年(1946年)10月12日、社名を山梨宮と変更したが、昭和27年(1952年)11月12日、現社号に復す。

御祭神は下記のように計2万5047七柱が合祀されている。

・西南の役(明治10年)50柱
・日清戦争(明治27年-28年)568柱
・日露戦争(明治37年-38年)449柱
・台湾討伐(大正3年)55柱
・満州事変、上海事変(昭和6年-9年)73柱
・支那事変、満州事変(昭和12年-16年)1784柱
・大東亜戦争(昭和16年以降)2万2068柱

昭和21年の改称の際合祀した民間人八柱は、昭和27年、境内に摂社として山梨宮を創建して祀った。

・加賀美光章命(学者)
・志村天目命(心学者)
・関戸左近命(郡内の義民)
・金子重右ヱ門命、三沢重右ヱ門命(太桝事件主唱者)
・長田圓右ヱ門命(御嶽新道開削者)
・徳島兵右ヱ門命(徳島堰開削者)
・くり女命(節婦)

平成11年(1999年)より山梨県出身の殉職自衛官11柱を合祀している。

例祭は春季が4月5日、秋季が10月5日。当社は、山梨県内有数の桜の名所としても知られている。毎月第2・第4日曜日には境内で骨董市が開催される。

【ご利益】
世界平和、平穏安寧
山梨縣護國神社 - 西南の役以来の戦争で戦死した山梨県の英霊を祀る、摂社に山梨宮も
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