遊郭の五つの稲荷神社を合祀、弁天も合祀して、今や日本最強の女性の守護神
[住所]東京都台東区千束3-20-2
[電話]03-3872-5966

吉原神社(よしわらじんじゃ)は、東京都台東区千束にある神社。浅草名所七福神の弁財天で、現在は千束稲荷神社の兼務神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

当社は、江戸の名所、全国的にも名高い吉原遊郭とともに歩んできた。

吉原遊郭は元和3年(1617年)、幕府の許可を得て庄司甚右衛門が江戸市中に散在していた遊女屋を日本橋葺屋町(ふきやちょう)の東隣(現 日本橋人形町周辺)に集めたことに始まる。

この地には葦(よし)が生い茂っており、そこから「葦原」、転じて「吉原」と命名された。しかし次第に吉原が江戸の中心地になってしまい、大火もあって、明暦3年(1655年)に現在地である千束村へ移転した。

以後、日本橋葺屋町付近にあった頃の吉原を「元吉原」、移転後の吉原を「新吉原」という。「新吉原」には廓の守護神として五つの稲荷社が存在した。

吉原の入口である大門の手前に玄徳稲荷社(吉徳稲荷社)、さらに廓内の四隅には榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社の四稲荷社が祀られていた。『江戸名所図会』にも記載がある。

このうち九郎助稲荷は、江戸時代に大流行した端唄『紀伊の国』という唄で、玉姫稲荷三囲稲荷合力稲荷袖摺稲荷真崎稲荷などとともに登場している。

明治5年(1872年)に、これら五つの稲荷社が合祀され、総称されて吉原神社と命名された。当初は玄徳稲荷社旧地だったが、関東大震災にて焼失。

その後は水道尻付近の仮社殿にて祭祀されたが、昭和9年(1934年)、現在地で新社殿を造営、その際、新吉原隣接の花園池に鎮座する吉原弁財天も合祀した。

吉原弁財天の本宮が、現在も当社の飛び地境内地として存在している。

その後、昭和20年(1945年)の東京大空襲で社殿は焼失、昭和43年(1968年)に現社殿が造営されて現在に至る。

御祭神は倉稲魂命市杵島姫命だが、玄徳稲荷大神、開運稲荷大神、九郎助稲荷大神、榎本稲荷大神、明石稲荷大神、吉原弁財天の六柱というのが正しいか。

どちらにしろ、もとからの御神徳としての、家内安全・商売繁盛のみならず、当社の由緒から、現在でも女性の様々な願いを叶えてくれる神として知られている。いわば、日本最強の女性の守護神。

例祭は毎年5月第3金・土・日曜日。吉原神社祭として知られ、土曜日夕刻には各町合同による神輿渡御が行われて、各町を巡幸する。女神輿も出る。

【ご利益】
家内安全・商売繁盛、女性の様々な願いを叶えてくれる神(公式HP
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吉原神社の御朱印