平安遷都前に山城国長岡の悪疫から人々と家畜を守護した厄除けの神
天道神社(京都府京都市下京区西田町615)
[住所]京都府京都市下京区西田町615
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天道神社(西田町)(てんどうじんじゃ)は、京都府京都市下京区西田町にある神社。天照皇大神を主祭神とし、正八幡大神と春日大明神を左右に、この三柱の神を祀る。天道宮とも。御朱印の有無は不明。

当初、山城国の長岡(現 府下乙訓郡長岡)に鎮座。延暦11年(792年)、長岡を初め附近七郷の村(現 梅津以南の村々)に悪疫が流行し、家畜が全滅に瀕したため、村人が当社に祈願したところ、1頭の犠牲もなく、たちまち全治したと伝えられる。

延暦13年(794年)、第50代桓武天皇が都を平安京(現在の京都)に遷都した時、国家安寧、子孫長久、万民豊饒を祈願するため当時の銅駝坊(どうだぼう)の南方、三条坊門東洞院(現 東洞院通御池上ル付近)に勧請された。

この遷座においては、長岡の郷の人々は家畜に至るまで沿道に並び、見送りし、その後今日に至るまで御神徳に帰依信仰され五穀成就・家畜悪疫除けの御祈祷・御札を授与している。

第59代宇多天皇の皇子である行明親王(ゆきあきしんのう)の御母君が伊勢御遊宴の亭を境内に造り、親王御息所(しんのうみやすどころ)の側近達がしばしば御車を連ね、数日遊宴したことで、盛況を極めた。

元弘・建武年間(1331年-1336年)に度々の兵火にかかり、社殿などは焼失。以後200年ほど再建されることもなく、荒廃した。天正2年(1574年)、織田信長から五条坊門猪熊(現在地)に替地を授けられ、再興。

しかし、天明8年(1788年)の大火で社殿は再び炎上。その後再建され、また数度にわたり修繕され、今日に至っている。

境内社には、天道天満神社(御祭神:菅原道真)、八坂社、約束稲荷神社、厳島社(御祭神:市杵島比売命)がある。

このうち、天道天満神社は、天道天神として、『都すゞめ案内者』(宝永5年(1708年)ごろ)に記載された「天神順参二十五ケ所」の一社と考えられ、いわゆる洛陽天満宮二十五社順拝の一つ。

また,明治天皇の皇后昭憲皇太后の御胞衣を収めた塚がある。これは一条家に誕生した皇后の栄華祈願のため、その父がこの地に埋納したもので、皇后は19歳の時に皇后宣下を受け、見事祈願成就。昭憲皇太后は現在、明治天皇とともに東京の明治神宮に祀られている。

毎年11月3日が例祭で、神幸祭が行われるほか、5月17日には、長い竿の先に季節の花を三方向に結び高く揚げる、天道花神事(てんどうばなしんじ)が行われる。

【ご利益】
厄除け、無病息災、開運、復活
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