日本武尊の功徳を敬って創建された式内の古社、「東海一の荒祭」で知られる
[住所]静岡県焼津市焼津2-7-2
[電話]054-628-2444

焼津神社(やいづじんじゃ)は、静岡県焼津市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「焼津神社(駿河国・益頭郡)」に比定される式内社(小社)。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社

社伝では、第12代景行天皇40年7月に日本武尊は東征に際して当地で野火の難を逃れたとし、後の第18代反正天皇4年に日本武尊の功徳を敬って神社が創建された。

主祭神は日本武尊。相殿神として、吉備武彦命、大伴武日連命(おおとものたけひむらじのみこと)、七束脛命(ななつかはぎのみこと)を祀る。相殿神の三柱は、日本武尊東征の従者。

『駿河国内神名帳』では、「焼頭明神(焼津明神) 坐益津郡」として、正四位下の神階を有する旨とともに記載されている。

中世には今川氏からの崇敬を受け、今川氏親からは社領として500石が寄進されたという。

永禄4年(1561年)6月11日付の今川氏真朱印状(焼津神社蔵、焼津市指定文化財)では「入江大明神」と見え、社殿修理と修理費に関する徴収許可の旨が記されている。

江戸時代に入り、慶長7年(1602年)には徳川家康から「入江大明神社領」として70石の朱印領が寄進され、これを幕末まで継承した。

現在の本殿は、慶長8年(1603年)、家康の命によって造営されたもの。神職は今川氏親以降鈴木家が世襲し、社僧は江戸時代には真言宗入江山長福寺が担った。

明治維新後、明治6年(1873年)3月22日に郷社に列し、明治16年(1883年)6月25日に県社に昇格した。戦後、昭和41年(1966年)7月1日に神社本庁の別表神社に列している。

例祭は8月12日・13日。「東海一の荒祭」特に有名。200人を越す神役の行列に加え、数千人の白装束の若者が「アンエットン」の掛け声とともに、2基の神輿を激しくあおる勇壮豪快な祭典。

この神輿渡行列の先頭に立つ「獅子木遣り」では、獅子頭から延びる50メートルの獅子幕を持つ手古舞姿の少女たちが、木遣り唄を歌いながら練り歩く。

8月12日には「神ころがし」の神事もある。子どもが生まれて3年間は「奉納焼津神社」と書かれた幟りを持って参拝するが、その1年目の1歳児が受ける神事。無事成長を願う。

また、この例祭期間においては、「北の御旅所」という所で櫛の形に作った餅を供えるという、主祭神とオトタチバナの説話に基づいた祭事が斎行される。

摂社に市杵島姫命社(市杵島姫命)、須賀神社(須佐之男命奇稲田姫命大己貴命)がある。

市杵島姫命社は、日本武尊が焼津に上陸した際に、持っていた火石と水石を祠に納め、海の神をお祀りしたという伝承があり、本社よりも古い可能性がある。

末社に、七社合殿(浅間神社・竈神社・天王社・八幡社・橘姫社・春日社・稲荷社の7社)、五社神社(市神社・天神社・天白社・藤之宮神社・王子神社の5社)、稲荷神社(宇伽之御魂)がある。

境内社として、焼津天満宮(菅原道真公)、西南戦争から第二次大戦までの国難に殉じた焼津市出身の2500余柱の英霊を祀る焼津御霊神社がある。

また、第二次大戦中、東南アジアで鰹節製造業等を行うために設立された有限会社皇道産業焼津践団の殉職者300余柱を祀る郷魂祠がある。

焼津天満宮の例祭は9月25日。期間中、書道の上達を願い市内外より出品される書道展が開催される。

【ご利益】
生業繁栄、家内安全、海上安全、方位除、交通安全、厄除、心願成就など(公式HP
焼津神社 - 日本武尊の功徳を敬って創建された式内の古社、「東海一の荒祭」で知られる
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