信州仁科の里に鎮座、承久の乱に起源をもつ流鏑馬、三重塔
[住所]長野県大町市大町俵町2097
[電話]0261-22-1626

若一王子神社(大町市)(にゃくいちおうじじんじゃ)は、長野県大町市大町俵町にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は、熊野那智大社第五殿に祀られる若一王子(にゃくいちおうじ)、天照大神(あまてらすおおみかみ)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、仁品王(にしなおう)、妹耶姫(いもやひめ)。

第11代垂仁天皇の御代、第10代崇神天皇皇子(末子)で、垂仁天皇の弟にあたる仁品王が社を建て伊弉冉尊を奉祀したのに始まり、後にこの地方の人らにより、この地の創始の神として、仁品王とその后妹耶姫が合祀されたという。

その後、仁科氏が安曇郷(安曇野)を領して居住、当社を崇敬し、嘉祥2年(849年)に創建がなった伝わる。

鎌倉時代、仁科盛遠が紀伊国熊野権現に詣でた際、那智大社第五殿に祀られる若一王子を勧請し、以降「若一の宮」(若一王寺、王子権現)と称されるようになった。盛遠は後鳥羽上皇の知遇を得て西面武士として仕えた。

承久3年(1221年)、後鳥羽上皇が北条義時追討の命令を出した時(いわゆる承久の乱)、盛遠が、出陣に際し神前に流鏑馬を奉納し、武運を祈ったことが、現在まで伝わる当社の流鏑馬、子ども流鏑馬の起源とされる。

仁科氏が主家の武田氏とともに滅亡すると、織田信長以後の天下人は安曇郡を歴代松本城主の所領とし、松本藩の庇護を受けるようになった。

明治の神仏分離の際に、寺号を廃して現社名に改称。昭和6年(1931年)に県社に昇格し、昭和51年(1976年)に神社本庁の別表神社に加列された。

本殿は弘治2年(1556年)に仁科盛康により造営されたもので、国の重要文化財に指定されている。拝殿は昭和50年(1975年)に伊勢の神宮(伊勢神宮)の旧社殿の一部を譲り受けたもの。

本殿東の観音堂には、若一王子の本地仏とされた十一面観音坐像御正体残闕の像が安置され、境内には三重塔がある。十一面観音坐像御正体残闕と三重塔はいずれも県宝。

流鏑馬は、明治維新まで仁科神明宮とともに旧暦6月16日は仁科神明宮で、翌17日は当社で、それぞれの例祭において、同じ射手が行い、約2里の道のりを遠乗りした。仁科神明宮のものはその後廃れ、当社のものだけが残った。

現在、例祭は7月17日、その後の7月第4日曜日が例祭奉祝祭で、流鏑馬の他、舞台行事、稚児行列などが行われる。

【ご利益】
家内安全、商売繁盛、身体健全、心願成就など(公式HP
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若一王子神社(大町市)の御朱印