伊勢神宮の神領、平安初期に現地の人が勅命を得て内宮を勧請
[住所]福井県福井市宝永4-8-1
[電話]0776-24-2210

神明神社(しんめいじんじゃ)は、福井県福井市宝永にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。御祭神は天照皇大神(あまてらすすめおおかみ)。参拝すれば、御朱印を頂ける。

社伝によれば、越前国北庄三郷(現 福井市中心部)は足羽御厨(あすわのみくりや)と呼ばれ、伊勢の神宮(伊勢神宮)に御戸帳(みとばり)を献上する神領だった。

第六十代醍醐天皇の御代、北庄に明光長者という人がおり、厚く天照大御神を崇敬し、御神徳を頂くことも少なくなかったため、当地に社殿を造営し、皇大神宮(内宮)を勧請したい旨を朝廷に奏聞したところ、勅命を得た。

延長2年(924年)3月9日、右大弁藤原親正、神使久志本右衛門大夫広次などが、御分霊・神宝・幣帛などを奉戴して北庄に参着、しばらく足羽神社御宝殿に御滞座の後、同年9月20日、社殿の竣功をまって鎮座したという。

『吾妻鏡』には、建久3年(1192年)、源頼朝が妹の一条能保の室に当社の領家職を与えたとの記述がある。

斯波氏の重臣から越前守護になった朝倉氏は北庄を根拠地としたが、初代広景は貞和3年(1347年)に領内の諸社に先駆けて当社の規模を修復、六代家景は文安3年(1446年)に当社を再興した。朝倉氏は一乗谷に移ってからも守護神として尊崇し続けたという。

福井藩祖結城秀康は入封後の慶長8年(1603年)に神領20石を寄進し、二代忠直公も元和5年(1619年)に社領80石を加増、以来歴代藩主も就封後の社参奉幣・叙位任官の際の奉告を欠かさず、社殿修復、判物を与え、当社を氏神として崇敬した。

社領100石は元和6年(1620年)に幕府によって安堵され、以来越前では平泉寺白山社と共に歴代将軍家によって安堵される御朱印地とされた。

境内には合祭殿があり、稲荷神社(御祭神:稲荷大神=宇迦之御魂神佐田彦神大宮能売神)・恵比須神社(御祭神:蛭児大神)・猫塚さんと親しまれ、子供の夜泣き平癒に霊験がある袋羽神社(御祭神:袋羽大神)を奉祭している。

太子堂は、聖徳太子の偉徳を敬慕する人々によって明治34年(1901年)に平岡山に建立されたが、昭和26年(1951年)春に当社に移築された。

例祭は春季が5月4日、秋季が10月20日。

【ご利益】
営業繁栄・商売繁盛、安全祈願、必勝祈願、家内安全、交通安全など(公式HP
神明神社(福井市) - 伊勢神宮の神領、平安初期に現地の人が勅命を得て内宮を勧請
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