建武年間の古記録が残る、富山前田家に崇敬された「富山山王さん」
[住所]富山県富山市山王町4-12
[電話]076-421-6318

日枝神社(富山市)(ひえじんじゃ)は、富山県富山市山王町にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。別称は「富山山王さん」。大山咋神大己貴命を主祭神とし、相殿に天照大御神豊受大御神を祀る。参拝すれば、御朱印を頂ける。

創建は不詳であるが、最も古い記録は建武2年(1335年)のもので、その頃には越中国新川郡針原に広い境内地をもって鎮座していたとある。

その後、南北朝の戦乱を避けて旧上新川郡大山町隠土、旧上新川郡中野村、旧婦負郡藤居村(現在の富山城跡)と各地を遷座。

天正15年(1587年)、前田利長が富山城に入城して以降は、富山前田家の産土社に定められ、新たに社地・社殿が寄進された。

承応2年(1653年)、二代藩主正甫は、社殿の造替えを命じ、同5年(1656年)完成し遷座祭が斎行され、神輿二基も寄進。以後代々の藩主の崇敬が篤く多くの寄進があったが、天保2年(1832年)の火災でことごとく焼失した。

明治6年(1873年)に郷社に列した。明治8年(1875年)、天照大御神を祀る北神明社、豊受大御神を祀る中神明社を合祀。

明治32年(1899年)、境内地に新県庁を建設するのにあわせ、かつて鎮座していた縁で富山城跡内に遷座し、同年8月2日、県社に昇格した。

しかし同年8月12日に市街全域を焼く大火があり、社殿を焼失。明治34年(1901年)、現在地に本殿・拝殿を再建した。

昭和20年(1945年)8月1日、戦災により直前に避難していた御神体を除き、全社殿その他建物の全てを消失。戦後、徐々に復興した。昭和43年(1968年)、神社本庁の別表神社に加列された。

平成18年(2006年)には、本殿の修復、幣殿の増築、廻廊の新築工事が行われた。

参道は行ってすぐに麁香神社(御祭神:手置帆負神、彦狭知神)がある。藩政時代、江戸屋敷内にあったのを当社に遷したもの。二柱は、『古語拾遺』に、天照大御神が天岩戸に隠れた際、天御量を作り、材木を切って瑞殿を作ったと言い、木工の祖神とされる。

境内には三末社があり、中央が稲荷社(御祭神:倉稲魂命)、右が水天宮(御祭神:安徳天皇)、左が春日社(御祭神:天児屋根命)。

源義経が奥州落ちの途次、弁慶が怪力をふるって巨石をころがし、義経の腰かけとしたと伝えられている弁慶石がある。

例祭は6月1・2日。1日は山王講大祭、山王まつり、山王氏子みこし巡行祭が行われ、2日に例大祭が執り行われる。

日本プロサッカーリーグであるJリーグのカターレ富山が必勝祈願を行う神社である。

【ご利益】
方除け、厄除け、縁結び、家内安全、夫婦和合、商売繁盛など(公式HP
日枝神社(富山市) - 建武年間の古記録が残る、富山前田家に崇敬された「富山山王さん」
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