浪速三神明の東向き朝日神明宮と、皇大神社が明治期に合祀
[住所]大阪府大阪市此花区春日出中1-6-21
[電話]06-6461-8238

朝日神明社(あさひしんめいしゃ)は、大阪府大阪市此花区にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

朝日神明宮と皇大神社が合祀してできた神社で、朝日神明宮は浪速三神明(大坂三神明)の一社である。別称として、逆櫓社(さかろのやしろ)。

御祭神は、天照皇大神倭比売命、春日大神、菅原道真

朝日神明宮は大阪市中央区神崎町にあった。平貞盛が父平国香を平将門によって殺されたために、父の仇を討つため、天慶年間(938年-947年)、大阪に天照皇大神を奉祀し、社殿を営んで戦勝祈願を行ったことが創建。

その後、貞盛が将門を討ち取ったことを朱雀天皇に奏上すると、御神徳を讃られて、「朝日宮」の社号を贈った。以後、朝敵追討の際は、奉幣使を遣わして、敵徒降伏の祈願を行うようになった。

源義経が平家追討へ西国へ赴くとき、戦勝祈願を行った。義経と梶原景時が「逆櫓の論」を行った。

朝日神明宮で平家追討の祈願を行ったので、戦勝の確信があり、梶原景時に論争を挑んだという。別称はこの故事による。なお、「逆櫓之松跡」は福島天満宮(大阪市福島区)の近くにある。

豊臣時代、大坂城築城の際、多くの社寺が遷座を命じられたが、遷座させられることはなく、豊臣秀吉の崇敬を受け、毎年、米百俵の寄進が行われた。

また、大坂夏の陣(1615年)では、真田幸村が金色の采配を奉納し、出陣したとされる。

江戸時代、大坂城代が参拝し、神前に供物を献じている。浪速三神明とは、東向きの当宮(朝日神明)と、南向きの日中神明(神明神社)、西向きの夕日神明(露天神社)のこと。

皇大神社は大阪市此花区川岸町にあった。天保6年(1835年)に伊勢の神宮(伊勢神宮)より御神霊を勧請し、神祠を建てて、川岸町の新田の鎮守社とした。

明治維新以降、朝日神明宮・皇大神社とも社運が衰微し、維持が困難となり、明治40年(1907年)、両社が合併合祀され、現社号に改称して、此花区川岸町に鎮座した。

その時、春日神社(現 此花区春日出)と安喜良神社(現 西区阿波座)を合祀した。

その後、周辺の喧噪が甚だしくなり、現在地へ遷座。昭和20年(1945年)6月1日、大阪大空襲により、社殿のほか、すべてが灰燼に帰した。

昭和24年(1949年)に本殿、昭和40年(1965年)には中門と拝殿が復興・再建を果たした。

7月第2土曜日が夏季例祭宵宮、翌日曜日が本宮。また、10月16日が秋季例大祭。なお、朝日神明宮は京都市にも同名神社がある。

【ご利益】
開運、復興、旅行安全、学問・学業成就
朝日神明社(大阪市) - 浪速三神明・日本七神明の朝日神明宮と、皇大神社が明治期に合祀
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朝日神明社(大阪市)の御朱印