山形県、源頼義・義家父子ゆかりの寒河江、谷地、溝延の三八幡
寒河江荘三八幡(さがえのしょうさんはちまん)とは、山形県の寒河江八幡宮、谷地八幡宮、溝延八幡宮の三社の八幡神社の総称である。寒河江荘は、現在の西村山郡および寒河江市で、旧郡国では出羽国村山郡。12世紀の初頭に摂関家領荘園として成立していた。
奈良時代には慈恩寺(の前身)が創建され、栄えていた地。三社ともおそらく寛治年間(1087年-1094年)の源頼義・義家父子による関わりがあり、相当の古社。荘園として成立してから、再整備が行われたと思われる。
いずれも武家から崇敬を受けた八幡神。谷地八幡宮は江戸期を通じて三度の大火にあっているが、寒河江八幡宮、溝延八幡宮の例から見ても、この三社はいずれも、最終的な支配者となった最上義光及び最上氏から一貫した崇敬を得たと思われる。
[説明]古式流鏑馬で知られる平安期末創建の古社
[社格]県社 - 別表
[住所]寒河江市八幡町5-70
[電話]0237-86-6258
[説明]9月例祭の「谷地の舞楽」「谷地奴」「囃子屋台」
[社格]県社 - 別表 - 重要無形民俗文化財
[住所]西村山郡河北町谷地乙224
[電話]0237-72-2149
[説明]室町期の記録、伝承は天慶年間までさかのぼる
[社格]-
[住所]西村山郡河北町大字溝延字八幡小路5864
[電話]0237-72-2934
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
・山形県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山形県に鎮座している神社の一覧
奈良時代には慈恩寺(の前身)が創建され、栄えていた地。三社ともおそらく寛治年間(1087年-1094年)の源頼義・義家父子による関わりがあり、相当の古社。荘園として成立してから、再整備が行われたと思われる。
いずれも武家から崇敬を受けた八幡神。谷地八幡宮は江戸期を通じて三度の大火にあっているが、寒河江八幡宮、溝延八幡宮の例から見ても、この三社はいずれも、最終的な支配者となった最上義光及び最上氏から一貫した崇敬を得たと思われる。
寒河江八幡宮
[説明]古式流鏑馬で知られる平安期末創建の古社
[社格]県社 - 別表
[住所]寒河江市八幡町5-70
[電話]0237-86-6258
谷地八幡宮
[説明]9月例祭の「谷地の舞楽」「谷地奴」「囃子屋台」
[社格]県社 - 別表 - 重要無形民俗文化財
[住所]西村山郡河北町谷地乙224
[電話]0237-72-2149
溝延八幡宮
[説明]室町期の記録、伝承は天慶年間までさかのぼる
[社格]-
[住所]西村山郡河北町大字溝延字八幡小路5864
[電話]0237-72-2934
【関連記事】
・神社いろいろ - 社格や形式などで神社を分類したまとめ - 神社めぐり全国編
・山形県の神社 - 本サイトに掲載されている神社で、山形県に鎮座している神社の一覧
コメント