羽黒修験の厄神大権現、戦前は独特の祈躊の声に近隣の人々が驚く
[住所]東京都品川区南大井2-4-8
[電話]03-3763-1373

浜川神社(はまかわじんじゃ、濱川神社)は、東京都品川区南大井にある神社。東京の天神さま32社の一社。天祖・諏訪神社の兼務社。当社そのものの御朱印の有無は不明。

当社の発祥は、江戸期の修験である。天明年間(1781年-1789年)に福島三右衛門が、富士山、高尾山そして出羽羽黒山(現 出羽三山)で修行して羽黒修験となり、自宅に厄神大権現を祀ったのが始まりとされる。

三右衛門はのちに教光院了善と称したが、江戸城大奥の女中や、諸大名から篤い尊信を受けた。

天保13年(1842年)に了善は町奉行鳥居甲斐神のために穽られて流罪となったが、嘉永3年(1850年)放免され、嘉永5年(1852年)に了善の孫大野良顕が当社を再興。

明治維新の神仏分離の際に当社は神社となって現社号を称し、良顕が還俗して神職となって奉仕した。

当社は江戸期には厄神と呼ばれて厄除けの神として尊崇されていたが、元来地元の鎮守でないため氏子がなく、信徒が各地に散在し講を結成している。

信徒が特に多いのは、東京湾を隔てた対岸の房総沿岸地域で、木更津から佐貫、鴨川にかけての漁村の人々の信仰を得ている。

江戸期には祭日にこれらの人達が舟で東京湾を横断して当社の前に上陸し、その日当社に参籠して翌日高尾山に参拝登山したといわれている。

信仰形態は、その源が羽黒修験に出ているため、神事もその色彩が濃く、信者は神拝詞を唱和し、戦前は深夜に水行の後「八十八社の厄病大神」と祈躊する声に近隣の人びとを驚かすものがあったという。

文化財に浜川神社文書がある。前身である厄神社(厄神大権現)および当社に関する文書と証文類で構成されている。

保存状態もよく、大井地区の歴史だけでなく、江戸時代から近代に至る神社史を知る上でも貴重な資料となっている。

現在の主祭神は須佐之男命大物主命と、少彦名命も配祀する。境内社に天神社(菅原道真)、金刀比羅社、弥兵衛稲荷社、浅間社がある。

おそらくこの天神社により、東京の天神さま32社の一員となっているのであろう。

2月の例大祭では、今でも多くの参拝があるという(参考)。

【ご利益】
厄除け、家内安全、身体壮健、病気平癒、学問成就
浜川神社(品川区) - 羽黒修験の厄神大権現、戦前は独特の祈躊の声に近隣の人々が驚く
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