成子・鳴子天神と呼ばれる江戸二十五天神の一社、新宿区内最大の富士塚
[住所]東京都新宿区西新宿8-14−10
[電話]03-3368-6933

成子天神社(なるこてんじんじゃ)は、東京都新宿区西新宿にある神社。新宿の超高層ビルに囲まれるように鎮座。参拝すれば、太筆による特徴的な「天満宮」と大書された御朱印を頂ける。

御祭神は菅原道真。特に往古は成子天神、鳴子天神などとも呼ばれ、『天満宮御伝記略』の御内府及び御内府近辺二十五天神に記載される江戸二十五天神の一社。東京の天神さま32社

『天満宮御伝記略』の他にも、江戸後期の下記の文献に掲載されている。

『武陽菅原詣』収録の天神
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)

延喜3年(903年)、九州の大宰府で菅原道真が亡くなったという知らせを東国の地で受けた家臣の佐伯と斎宮は悲嘆極まりなく、京に向かい、道真が生前に彫った像を柏木村に持ち帰り、菅公神社として祀ったのが当社の起源。

鎌倉時代、源頼朝により社殿が造営されたという。江戸時代、三代将軍徳川家光より春日局に柏木鳴子の地が授けられ、春日局の勧請により、天満天神社として社殿を造営した。

しかし、寛文年間(1661年-1672年)に起きた火災で、それまでの記録や社宝などが焼失。現在地に移転した。

元の地は、北柏木公園(北新宿四丁目)だったようで、跡地には天神社が残ったが、それも明治の中頃、鎧神社の境内に移設された。天神社は当社の元の社という意味で、元天神と呼ばれている。

移転前まで現在地には、現在は境内社となっている大神宮(御祭神:天照皇大神)が鎮座していたという。

明治27年(1894年)、成子神社と改称、さらに昭和3年(1928年)に現社号に改称。その後、戦災で社殿などを焼失。戦後、昭和41年(1966年)にコンクリート製の社殿を再建。

現在、境内には七福神の石像が散らばって鎮座している。

境内末社に大鳥神社(日本武尊)、鳴子稲荷神社(宇迦之御魂命)、浅間神社(木花咲耶姫命)がある。

境内にある富士塚は特に成子富士と呼ばれ、高さは約12メートルで大正9年(1920年)に作られたもの。新宿区内では最大規模のもの。

【ご利益】
学問の神、厄除けの神(公式HP
成子天神社 - 成子・鳴子天神と呼ばれる江戸二十五天神の一社、新宿区内最大の富士塚
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成子天神社の御朱印
成子天神社の御朱印20151031