源頼朝など関東武将の崇敬厚かった橋場・真崎の「神明さん」、石浜天神
[住所]東京都荒川区南千住3-28-58
[電話]03-3801-6425

石浜神社(いしはまじんじゃ、石濱神社)は、東京都荒川区南千住にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

近代社格では郷社。浅草名所七福神の寿老神。御祭神は天照大御神(あまてらすおおみかみ)、豊受大御神(とようけのおおみかみ)。

奈良時代、聖武天皇の神亀元年(724年)9月11日、勅願によって鎮座。

文治5年(1189年)、源頼朝の奥州征討に際しての社殿の寄進、弘安4年(1281年)、蒙古襲来の折、必勝を祈念しての、鎌倉将軍家取り次ぎによる官幣奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見たという。

ことに、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州から、多くの参詣者を集めたと、伝えられる。

東に隅田の大川、西に霊峰富士、北に名山筑波といった名勝に恵まれ、江戸近世における社運はさらに隆昌、『江戸名所図会』などにも大きく納められ、「神明さん」の通称も定着。

明治5年(1872年)、郷社に列格。

境内社に江戸神社、妙義八幡神社、北野神社がある。江戸神社は主祭神の弟神である素戔雄尊を祀る。天文年間(1532年-1554年)に、江戸太郎重長が勧請した牛頭天王社で、橋場の地の鎮守。

妙義八幡神社は創建不詳も、御祭神は日本武尊誉田別命。北野神社は御祭神が菅原道真、明和4年(1767年)6月5日、道真の末孫27代目の高辻大納言の勧請によるもの。

吉原の代表行事「にわか」踊りは、当社に由来する梅祭りが起源とも。

当社は江戸期、橋場真崎神明社とも呼ばれ、この北野神社は石浜天神と呼ばれ、親しまれた。江戸二十五天神の一社であろう。

江戸期から明治期にかけての書籍である下記に記載され、江戸においてよく知られた天神の一社であった。

『武陽菅原詣』収録の天神……神明皇の相社の天神?
東都二十五天神(『卯花園漫録』)
府内天神(『江戸拾葉』)
菅祠二十五社(『霊神仏之記』)
御内府及び御内府近辺二十五天神(『天満宮御伝記略』)
東京天満宮二十五社(『菅原大神千年大祭図会』)

他に境内社として、麁香神社(あらかじんじゃ)、招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)、真先稲荷神社がある。

真先稲荷神社は真崎稲荷とも呼ばれ、江戸時代に大流行した端唄『紀伊の国』という唄に、玉姫稲荷三囲稲荷合力稲荷袖摺稲荷九郎助稲荷などとも登場する由緒ある神社。

この真崎稲荷が一橋家の祈願所となり、一般の出入りが規制されたためにできたのが、同じく当社境内社の招来稲荷である。

【ご利益】
開運、厄除け、五穀豊穣・商売繁盛、学問成就など(公式HP
石浜神社
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石浜神社の御朱印