【日刊】日本の城
名称:首里城(しゅりじょう、スイグスク)
別称:御城(ウグシク)

史跡:国の史跡
国宝:-
重文:-

住所:沖縄県那覇市首里金城町1丁目2
電話:098-886-2020
日本100名城:第100番
  - スタンプ:首里杜館、系図座・用物座、北殿

首里城(しゅりじょう、スイグスク)は、中山国(今の沖縄県那覇市)にあった日本の城である。かつて海外貿易の拠点であった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。

創建年代は明らかではない。近年の発掘調査から最古の遺構は14世紀末のものと推定され、三山時代には中山の城として用いられていたことが確認されている。

おそらく、13世紀末から14世紀のグスク造営期に他の沖縄の多くの城同様に成立したものと考えられる。

尚巴志が三山を統一し琉球王朝を立てると、首里城を王家の居城として用いるようになった。同時に首里は首府として栄え、第二尚氏においても変えられることはなかった。

史書に記録されている限りでも、首里城は数度にわたり焼失している。焼失する度に再建されてきたが、毎回木材の調達が問題となり、薩摩藩からの木材提供で再建を行ったり将来の木材需要を見越して本島北部での植林事業を行ったりしている。

一度目の焼失は享徳2年(1453年)に第一尚氏の尚金福王の死去後に発生した王位争い(志魯・布里の乱)であり、城内は完全に破壊された。

一度目に再建された城の外観と構造については、『李朝実録』に記述がみられ、1456年2月の目撃記録として、首里城は、「外城」「中城」「内城」の三地区に分かれ、外城には倉庫や厩、中城には200余人の警備兵、内城には二層の屋根を持つ「閣」があり、内部は三階建てで、三階は宝物を保管し、中層には王が滞在する場所があり、侍女が100余人控え、一階は酒食が供される集会所となっていたと記述されている。

二度目の焼失は万治3年(1660年)で、再建に11年の年月を要した。宝永6年(1709年)には三度目の火災が起き正殿・北殿・南殿などが焼失した。

この時は財政が逼迫しており、正徳2年(1712年)に薩摩藩から2万本近い原木を提供されている。現在見る首里城の建築は、三度目の火災の後再建された正徳5年(1715年)から昭和20年(1945年)までの姿を基にしている。

なお、正徳2年(1712年)発行の「和漢三才図絵」(寺島良安・編)には首里城が「琉球国」の項の挿絵(地図)のなかに描かれている。

琉球王朝の王城で、沖縄県内最大規模の城であった。戦前は正殿などが国宝であったが、昭和20年(1945年)の沖縄戦と戦後の琉球大学建設により完全に破壊され、わずかに城壁や建物の基礎などの一部が残っている。

1980年代前半の琉球大学の西原町への移転にともない、本格的な復元は1980年代末から行われ、平成4年(1992年)に、正殿などが旧来の遺構を埋め戻す形で復元された。

平成5年(1993年)に放送されたNHK大河ドラマ『琉球の風』の舞台になった。

周辺には同じく世界遺産に登録された玉陵、園比屋武御嶽石門のほか、第二尚氏の菩提寺である円覚寺跡、国学孔子廟跡、舟遊びの行われた池である龍潭、弁財天堂(べざいてんどう、天女橋)などの文化財がある。

世界文化遺産「琉球王国のグスク及び関連遺産群」の構成資産の一つ。登録は「首里城跡(しゅりじょうあと)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産ではない。日本の歴史公園100選に「首里城公園」として選ばれている。
首里城 中山国(沖縄県那覇市) - サムネイル写真
【関連サイト】
首里城公園 ‐ 琉球王国の栄華を物語る 世界遺産 首里城

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