辰年・巳年生まれの守護神、蓮の花まつりや十五夜大祭前日の宵宮など有名
[住所]青森県平川市猿賀字石林175
[電話]0172-57-2016

猿賀神社(さるがじんじゃ、さるかじんじゃ)は、青森県平川市猿賀にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。眼の守護神、辰年・巳年生まれの守護神として広く崇敬されている。参拝すれば、御朱印を頂ける。約1万5000坪の広大な境内地で、「鏡ヶ池」「見晴ヶ池」の二つの大池がある。

御祭神は上毛野君田道命(かみつけののきみたじのみこと)。蝦夷討伐の将で第16代仁徳天皇55年に伊峙水門(いしのみと)で敗死し、後に大蛇の姿になって蝦夷を平定したとされる。保食神を相殿に祀る。

社伝によれば、敗死した田道命は従者によって当地に埋葬され、後に蝦夷がその墓を暴いたところ、田道命の遺体が大蛇と化して毒気を吐いたので、人々が恐れて現在地西方の猿賀野に祀ったのに始まると伝える。

200年後の第29代欽明天皇28年(567年)に当地で洪水があり、田道命の神霊が白馬にまたがり流木を舟にして流れに乗り、現在地に遷座した。

第50代桓武天皇の時代に蝦夷征討に苦戦していた坂上田村麻呂が田道命の霊に導かれて大勝したので、延暦12年(793年)、田村麻呂が現在地に祠を造り、大同2年(807年)には勅命により社殿が造営された。

後に、仏教の守護神である深砂大王(じんしゃだいおう)と習合し、深砂大権現(神蛇宮)と呼ばれるようになった。

武神として信仰され、藤原秀衡、北畠顕家ら附近にかかわった武将たちの崇敬を集めた。江戸時代には津軽藩の祈願所となり、猿賀山長命院と号する修験道場となった。

明治の神仏分離により、明治4年(1871年)に神社となり、地名より「猿賀神社」に改称。現在もかつては境内地であった社前に旧別当寺である神宮寺(天台宗)が残る。同6年郷社に列し、更に同16年(1883年)には県社に昇格した。

戦後は神社本庁に参加し、昭和34年(1959年)にその別表神社に指定されている。

旧暦1月7日の七日堂大祭は弘前市の岩木山神社と鬼神社の七日堂祭とともに平成21年(2009年)に「津軽の七日堂祭」として国の選択無形民俗文化財に選ばれた。

7月ごろから鏡ヶ池に咲く「和蓮」というハスの名所としても知られる。7月31日から8月8日まで、「北限に観る蓮の花まつり」が開催され、フォトコンテストなどがある。

例祭の十五夜大祭前日の宵宮(旧暦8月14日)では、国の選択無形文化財、県の無形民俗文化財である津軽神楽が奉納される。

本殿は梁間(奥行)を3間とする三間社流造。文政9年(1826年)の建立。県の文化財に指定されている。

境内社として、胸肩神社(弁天宮。御祭神:市杵島姫命)、あかい堂(水天宮。御祭神:水天宮水波能売神)、池上神社(薬師様。御祭神:少彦名神)、日吉神社(御祭神:事代主神)がある。

【ご利益】
眼病平癒、辰年・巳年生まれの守護神、国土開発・諸産業・交通の守護神(公式HP
猿賀神社 - 辰年・巳年生まれの守護神、蓮の花まつりや十五夜大祭前日の宵宮など有名
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