米良神楽で知られ、ニニギに傷つけられたイワナガが遠くに放り投げた鏡が御神体
[住所]宮崎県西都市大字銀鏡
[電話]0983-41-1557 - 西都市観光協会

銀鏡神社(しろみじんじゃ)は、宮崎県西都市銀鏡にある神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、神社直通の電話が見当たらないので、事前に西都市観光協会に問合せすることを推奨する。

『古事記』にも記載のある神話で、『古事記』では語られていないその続きの部分が、創建事由に関わっている。

御祭神は、岩長姫命大山祇尊、懐良親王。『古事記』にもある邇邇芸命の嫁取り。大山祇尊の娘である木花之佐久夜毘売に一目惚れした邇邇芸命。

それに喜んだ大山祇尊は、もう一人の娘で木花之佐久夜毘売の姉である岩長姫命も邇邇芸命に嫁そうとする。しかし、邇邇芸命は岩長姫命がブサイクだったためにすぐに実家に戻してしまう。

木の花の咲くように栄え(木花之佐久夜毘売)、岩のように永く続く(岩長姫命)ことを願っての配慮だったが、邇邇芸命の対応に激怒した大山祇尊は、邇邇芸命一族に寿命を与える呪詛を行う。

ここまでが『古事記』にある神話。以後は当地の伝承。この時、岩長姫命は傷心のあまり、わが身を映す鏡を遠くへ放り投げたという。

そうすると、米良山中、龍房山(西都市銀鏡付近)の大木の枝にかかり、これがその後、陽光、月光を浴びて白く輝くことになった。

時は下って応永(1394年-1427年)・文明(1469年-1486年)の頃、清和源氏の末流で吉良民部大輔兼続という者が米良にやって来た。その後、氏を米良とする。

彼は山頂の霊光の話を聞き、山々を眺めて霊光の指す厳を見極めた。そして絶壁をよじ登り山頂に達し、大木の枝に半ば食いこんでいる古鏡を発見した。

伝説の神鏡を得て大いに喜び、奉持して帰り、家に安置して祀り、氏を銀鏡と改めた。

兼続ほその後神威を汚すのを恐れ、長享3年(1489年)、東米良村銀鏡の上原に社を建て、かの古鏡を御神体として岩長姫命(磐長姫とも)と大山祇尊(大山祇神とも)を祀った。

今もこの銀鏡氏の子孫は連綿として続いている。

一方、南朝の忠臣菊地氏ほ米良山中に隠れた際、武光九代の子孫垂次は家に伝わる征西将軍懐良親王の御鏡を御神体として当社に合祀したという。

ただし、菊池武光(1319年-1373年)の九代後とされる菊池垂次は不詳。

南北朝合一は明徳3年(1392年)であり、伝承内容からはそれ以前の合祀とも考えられるが、当社の創建はそれよりも100年ほど後のことで、齟齬がある。

武光九代ぐらいとなるとおそらくは1500年前後であり、当社創建後、南北朝時代は終わっていたものの、菊池氏の家に伝わっていた懐良親王の御鏡を当社に合祀した、というところか。

ともかく、現在も当社に神鏡2面が御神体。

当地で行われる焼畑耕作と関連する狩法神事に特徴がある採物神楽である「米良神楽」が、国の重要無形民俗文化財に指定されている。当社の大祭(毎年12月12-16日)で行われる。

【ご利益】
家内安全、良縁・縁結び、金運、交通安全、武運長久など
銀鏡神社 - 神楽で知られ、ニニギに傷つけられたイワナガが遠くに放り出した鏡が御神体
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銀鏡神社の御朱印