【日刊】日本の城
名称:佐賀城(さがじょう)
別称:佐嘉城、栄城、沈み城、亀甲城

史跡:県の史跡
国宝:-
重文:鯱の門及び続櫓

住所:佐賀県佐賀市城内2-18-1
電話:0952-41-7550
日本100名城:第89番
  - スタンプ:佐賀城本丸歴史館受付

佐賀城(さがじょう)は、肥前国(今の佐賀県佐賀市)にあった、江戸期には佐賀藩の藩庁などにも機能した日本の城である。

築城年は1602年(慶長7年)であり、廃城年は1871年(明治4年)。天守は4重(非現存)。主な築城者は鍋島直茂・勝茂で、主な改修者は鍋島直正である。

佐賀市の中心に位置し、城郭の構造は輪郭梯郭複合式平城である。

幅50メートル以上もある堀は、石垣ではなく土塁で築かれている。平坦な土地にあるため、城内が見えないように土塁にはマツやクスノキが植えられている。

城が樹木の中に沈み込んで見えることや、かつては幾重にも外堀を巡らし、攻撃にあった際は主要部以外は水没させ敵の侵攻を防衛する仕組みになっていたことから、「沈み城」とも呼ばれてきた。

また城郭と城下町の完成予想図と思われる「慶長御積絵図」とは異なる部分が多く、厳密には未完成の城である。

江戸時代には、城下と城内に掘割が縦横に張り巡らされ、生活用水に使用されていた。また、城下には豊前小倉から長崎まで続く長崎街道が通り、宿場町としても栄えた。

明治時代初期に起こった佐賀の乱により大半の建造物は焼失し、鯱の門と続櫓のみが残っており、国の重要文化財に指定されている。

焼失した天守は小倉城並みか、それよりわずかに大きい規模ではないかと最近の調査で推測されている。

現在、城跡は佐賀城公園に整備され、佐賀県庁、合同庁舎、放送局、美術館、博物館、小中高の各学校など公共施設が建ち並んで佐賀県政治経済の中心地となっている。

佐賀城の北には、佐嘉神社が鎮座する。

日本の歴史公園100選に「佐賀城公園」として、美しい日本の歴史的風土100選に「鍋島家城下町、石井樋など佐賀藩の歴史遺産」として選ばれている。
佐賀城 肥前国(佐賀県佐賀市) - サムネイル写真
【関連サイト】
佐賀城本丸歴史館

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