埼玉県唯一の流鏑馬の毎年奉納、室町期の県下最古の本殿が重文
[住所]埼玉県入間郡毛呂山町岩井西5-17-1
[電話]049-294-5317

出雲伊波比神社(いずもいわいじんじゃ)は、埼玉県入間郡毛呂山町岩井にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

延喜式』巻9・10神名帳 東海道神 武蔵国 入間郡「出雲伊波比神社」に比定される式内社(小社)の論社。近代社格では郷社。

御祭神は、大名牟遅神(おおなむちのかみ)、天穂日命品陀和気命(ほんだわけのみこと)、息長帯比売命他16柱。

第12代景行天皇53年に倭建命が東征凱旋の際に、景行天皇から賜った「比々羅木鉾(ひひらぎのほこ)」を御神体として侍臣である武日命に命じて社殿を創建し、東北に向けて鎮座させたという。

今も本殿内で鉾を東北に向けているという。古くは出雲臣が祭祀する社であったという。

当社は、宝亀3年(772年)12月、太政官府に朝廷の奉幣が絶えたのを怒り、雷神を率いて入間郡の正倉を焼いたとされている神社で、中世に活躍する毛呂氏や越生氏が祭祀した神社だろうとされる。

鎌倉時代以降、武士の信仰も集め、源頼朝が畠山重忠に社殿の造営を命じたという。永享年中(1430年ごろ)、足利持氏が社殿を造営したとも記録に残る。大永7年(1527年)6月、社殿炎上し焼失。

本殿は流造一間社で屋根は桧皮葺形式、大永8年(享禄元年=1528年)9月15日に毛呂三河守藤原朝臣顕重が再建したもの。

現存するものとしては埼玉県内最古の室町期の神社建築であり、棟札二面(大永8年・宝暦12年)とともに国の重要文化財に指定されている。

社殿は、天正2年(1574年)、北条氏政が修営している。

中世期には茂呂明神、毛呂明神、飛来明神、八幡宮とも称されていた。

ちなみに八幡宮は源頼義父子が康平6年(1063年)、当社を参詣後に凱旋し、八幡宮を相殿にまつったことに始まり、この時が、後述の流鏑馬の起源となる。明治期まで二社併立していた。

明治4年(1871年)に八幡宮その他を合祀し、明治6年(1873年)に郷社列格。昭和33年(1958年)3月、1年かけての本殿の解体復元工事を完工、昭和重修と呼ばれている。

11月3日が秋の例大祭であり、奉納される流鏑馬が有名。埼玉県内で流鏑馬が唯一毎年奉納される神社でもある。県無形文化財民俗資料選択の「古式流鏑馬」であり、920年の歴史を有す。

埼玉県下はいろいろな形で出雲色が良く表れる地域であり、鷲宮神社氷川神社などが代表例だが、当社も出雲出身者による開拓民による信仰が創祀だった可能性があり、現在に至るまで当社名に「出雲」が残る。

なお、式内社「出雲伊波比神社」は出雲祝神社とも表記される場合があるが、他の論社としては、川越氷川神社や所沢市の北野天神社、入間市宮寺の出雲祝神社がある。

【ご利益】
縁結び、開運招福
出雲伊波比神社 - 埼玉県唯一の流鏑馬の毎年奉納、室町期の県下最古の本殿が重文
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出雲伊波比神社の御朱印