都内最大級の千貫神輿が踊る鳥越祭、大船団の水上祭、とんど焼きで有名な古社
[住所]東京都台東区鳥越2-4-1
[電話]03-3851-6033

鳥越神社(とりこえじんじゃ)は、東京都台東区鳥越にある神社。近代社格では郷社。参拝すれば、御朱印を頂ける。オリジナルの御朱印帳がある。

例年6月に開催される例大祭は鳥越祭、鳥越まつりなどと呼ばれ、そこに出る千貫神輿は都内最大級を誇り、喧嘩・乱闘当たり前の状況となることで知られる。

第12代景行天皇の御代に、この地に日本武尊が良き斎庭と定めて皇祖二柱の大御神を祀り、その後白鳥村とよばれたこの地に白雉2年(651年)、村民が「白鳥明神」として奉祀したのが由緒とされる。

御祭神は日本武尊。当時は白鳥神社とも呼ばれた。仁明天皇(在位:833年-850年)の御代に武蔵国司となった藤原氏が、祖神である天児屋根命を合祀した。

由緒には記されていないが、天慶年間(938年-947年)、将門の乱に関連して、一説に、京都で晒された平将門の首が、東国に飛んで戻った時、当地を飛び越えたために、「鳥越」となったという説があるという。

前九年の役(1051年-1062年)征圧のため源頼義、義家父子がこの地を通った際、白い鳥が飛ぶのを見て浅瀬を知り大川(隅田川)を渡ることができた。それを白鳥明神の加護とたたえ、鳥越大明神の社号を奉った。

江戸時代までにここには三社の神社が成り、一帯の約2万坪の広大な敷地を所領していたが、元和6年(1620年)、江戸幕府が全国の天領からの米を収蔵するため、隅田川沿いに蔵(浅草御蔵)を造営することとし、この埋め立て用に大明神のある鳥越山を切り崩すことになり、土地を没収された。

さらに、大明神の北側にあった姫ヶ池も鳥越山からの客土で埋め立てられ、大名屋敷などの御用地とされた。三社のうち熱田神社は今戸へ、第六天榊神社は森田町(現 蔵前3丁目)に遷され、残った大明神が現在の当社である。『江戸名所図会』にも記載がある。

徳川家康を祀っていた松平神社(現 蔵前4丁目16番付近)が関東大震災で焼失したため、その御祭神である東照宮公が当社に合祀された。

境内社に福寿神社がある。御祭神は倉稲魂命で、次に大黒天神・恵比寿神が祀られ、次に菅原道真が祀られた。福寿社として、東京の天神さま32社の一社。

鳥越祭では、本社神輿は例年、日曜の朝6時50分(発輿式は6時半から)より宮出しされ午後9時に宮入となり当社に戻る。先頭には、猿田彦(天狗)や、手古舞連、子供たちの持つ五色の旗が歩き神輿を先導し、夜8時過ぎの宮入道中では神輿の周りに提灯を付け、高張り提灯に囲まれ宮入りする。

夜祭りとしても有名で、暗闇の中を提灯の灯りがユラユラと揺れることから、お化け神輿の別名もある。

平成9年(1997年)9月14日に、東京湾横断道路アクアラインの開通を記念し、「関東三大宮神輿」として浅草・当社の本社神輿、深川・富岡八幡宮の二之宮神輿、木更津・八剱八幡神社の宮神輿の連合渡御が行われ、木更津の地で合同奉舁が行われた。

毎年1月8日にはとんど焼が行われる。6月30日から翌7月1日にかけては水上祭が斎行される。夏越し大祓い行事で、祭壇を飾り五色の幣帛をたてた御座船に積み、当社名旗を翻した数十艘の群船に警護され、柳橋河岸より大川路(隅田川)を囃子の音も賑やかに沖へ下る。

先の将門に関する伝承について、加門七海『平将門は神になれたか』(文庫版は『平将門魔方陣』)では、江戸における平将門ゆかりの神社が、一種の魔方陣として配置されているとの指摘があり、当社は、その中で北斗七星の器の部分を構成するドゥーベに相当するとされる。

【ご利益】
福徳円満、万民和楽、恒久平和、武運長久(公式HP
鳥越神社 - 都内最大級の千貫神輿が踊る鳥越祭、大船団の水上祭、とんど焼きで有名な古社
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