大和国四所水分社の一つ、大和川、木津川の水源の神、室町期の本殿
[住所]奈良県奈良市都祁友田町182
[電話]0743-82-0097
都祁水分神社の位置
都祁水分神社(つげみくまりじんじゃ)は、奈良県奈良市都祁友田町にある神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

『延喜式神名帳』にある「都祁水分神社(大和国・山辺郡)」に比定される式内社(大社、月次新嘗)。

神名帳の他に、『延喜式』巻3「臨時祭」祈雨神祭条に「都祁水分社一座」とあり、祈雨神祭85座に含まれる。近代社格では郷社。

当社は古来、葛木水分神社吉野水分神社宇太水分神社(中社)とともに、大和国四所水分社(大和国の水分四社)の一つで、飛鳥時代の創祀と伝えられている。

最初の鎮座地は、現在地より3キロ南方の小山戸カモエ谷の都祁山口神社の地だったという。

御祭神は速秋津彦神天水分神国水分神の三柱の神で、古く本地垂跡説によると阿弥陀三尊と称せられた。

この地に祀られた自然神で、また、農耕神として、大和川、木津川の水源の神として、大和川と木津川の分配を司る神として、奈良朝時代「神戸」を寄せられた。

平安時代の仁寿2年(852年)、官社に列せられ、貞観元年(859年)には「正五位下」に進む。式内大社に列し、月次、新嘗の官幣にあずかる。

平安時代中期には、当地区に興福寺喜多院二階堂の荘園が成立。藺生、小山戸、友田、南殿、白石、無山、向淵の七庄で開発が進むとともに、水分神は信仰を集め、天禄3年(972年)9月25日、荘園の中央友田へ遷座する。

この社地は奈良朝時代、天平12年(740年)に聖武天皇が行幸した堀越頓宮の伝承地であり、平安時代には伊勢斎宮の皇女が宿した都介頓宮の跡でもある。

鎌倉時代の初め、喜多院二階堂領は、同じ興福寺の大乗院領となり、当社も大乗院家の指示で、当地方に、成長した武士が氏人となり、護持された。これらのことは応永31年(1424年)に作られた当社縁起に詳記されている。

室町中期の明応8年(1499年)、七ケ庄の反米によって造営されたのが現在の本殿。一間社春日造、桧皮葺の中世社殿として、国の重要文化財に指定されている。

江戸時代には七庄の氏神として地方的な信仰を得、殊に藤堂藩大庄屋、小山戸の北氏は当社の護持に一段と力を尽くした。

当社の祭礼は古くより春日大社の若宮神社「おん祭」(現在は「春日若宮おん祭の神事芸能」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている)を模倣して盛大に行われ、神輿は9月25日、都祁山口神社に渡御し、翌26日遷御、田楽、佃男、流鏑馬があり、能や狂言も催されていたという。

現在は10月26日が秋季例祭。

【ご利益】
水に関する守り神、五穀豊穣、商売繁盛など
都祁水分神社 - 大和国四所水分社の一つ、大和川、木津川の水源の神、室町期の本殿
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都祁水分神社の御朱印