4年に1度の傀儡子の舞と神相撲で知られる、神功皇后の神託による縁起
[住所]福岡県築上郡吉富町小犬丸353-1
[電話]0979-22-3237(090-9659-2490)

八幡古表神社(はちまんこひょうじんじゃ)は、福岡県築上郡吉富町にある神社。近代社格では県社。八幡宮古表社、古表八幡宮などとも。参拝すれば、御朱印を頂ける。

国の重要無形民俗文化財に指定されている「八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲」で知られる。境内地は「吹出浜(ふきではま)」と呼ばれる、昔からの景勝地。

創建は第29代欽明天皇6年(545年)9月21日。中津川(山国川)の辺に住んでいた玉手翁(たまてのおきな)のもとに、美しい白雲が西の方より飛来し、明月の如く光り輝く女神が乗っていた。

翁はすぐに神である事を察し畏れ拝んだ。すると次のような神託があった。
吾は息長帯姫なり。

昔、三韓征伐のおり軍卒集まり難しにより諸国を歴視し此の所に来りて海辺の石(後、皇后石と呼ぶようになった)の上にて諸国の神々を祭る

よりて軍卒多く集まり船をも調達、険浪を渡り三韓を伐つ。

しかるに後世これを知る者なし。今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せんとす。汝此の所に社を建て吾を祭れ。
御祭神は息長帯姫尊と、その妹神にあたる虚空津比売命。本殿、八幡宮(息長大神宮)に祀る。

西御殿が住吉神社(住吉宮)で住吉大神、東御殿が四十柱神社(古表大明神、四十柱宮)で四十柱大神(八意思兼大神など細男舞・神相撲の神々)。

元正天皇の御宇、養老3年(719年)、大隅、日向の隼人族が反乱、七城を築いて中央に対抗した。官軍・宇佐の神軍とともに息長大神宮も神人・社家・村里次官を引きつれ、七城を囲んだ。

五城は落とすことができたが、二城はどうしても抜けない。

豊前の国司は息長大神宮に祈らせ神告を得、その通り美女・美童の形を表す御神像を造り、戦場において伎楽を奏し、寇賊の心を絡め取り、官軍の士気を奮い起こし、ついに二城を落とした。

これが、細男舞・神相撲の起源。

聖武天皇の御宇、天平16年(744年)、隼人の霊を慰めるため宇佐神宮が中心となって豊の国の放生会を執行した。

国司が息長大神宮の神官に「隼人降伏のとき、戦場に伎楽を奏す。今また古を表す木造を彫りて……」と命じた。

御神像を広津崎より船に乗せ、和間海上に到って放生会に参加、細男の伎楽を奏した。すこぶる古の形を表すものであったため、古表大明神と称し、別宮を建てて奉祀した。

以来、宇佐放生会の際には出御して参加していたが、そのうち独自に行うようになった。

現在の「八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲」である。同じ系統のものに古要神社の「古要神社の傀儡子の舞と相撲」がある。

称徳天皇の神護景雲3年(769年)夏5月、国中に昆虫の災いがあり、息長大神宮・古表大明神に祈った。神輿二殿が広津山に行幸、御旅所で大祓の神楽を行った。

あわせて、七種の押草を田毎の溝口に立て、三日三夜祈る。この後本宮に還御。程なくして昆虫消除した。

この年の秋、豊作となり幸子村が冬の祭(御礼、感謝の祭)を行った。息長大神宮の神輿は高浜より、古表大明神の神輿は広津崎より出御。御旅所にて一泊。

終夜、庭火で神楽を奏し、饗宴を設け、翌日還御する。広津村、小犬丸村、小祝村と続く。

現在にまで続く神幸祭、各区秋祭の縁起である。

木彫りの御神像が舞い、相撲を取る細男舞・神相撲(くわしおのまい・かみずもう)、つまり「八幡古表神社の傀儡子の舞と相撲」は、4年に1度(夏季五輪と同じ年の8月、放生会の船上で)、夏季大祭において奉奏される。

江戸時代には、代々の中津藩主からの崇敬も篤く、御神衣や刀剣類などその関係の宝物も多数保有している。拝観が可能。問い合わせて、予約する必要がある。

【ご利益】
安産、子育て、家内安全、厄除け、勝運、知恵・学問の神(公式HP
八幡古表神社 - 4年に1度の傀儡子の舞と神相撲で知られる、神功皇后の神託による縁起
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