祇園御霊会の神輿洗いと同じ行事を伝える、前身はやはり妙泉寺
[住所]岩手県遠野市附馬牛町上附馬牛第19地割81
[電話]0198-64-2455

早池峰神社(はやちねじんじゃ、早池峯神社)は、岩手県遠野市にある神社。参拝すれば、御朱印を頂けるが、事前に確認しておいた方が良い。

霊峰早池峰の山霊を祀り、併せて早池峰山と共に遠野三山とよばれる石神、六角牛の山霊を祀る。現在の御祭神は瀬織津姫命とされる。

創祀は大同元年(807年)3月8日。猟師藤蔵(後に始閣と定む)が早池峰山頂に権現垂跡の霊容を拝して発心、山道を 拓いてその年の6月18日山頂に七尺余りの宮を創建して祀ったのが始まり。

山頂の社は本宮と称し、承和14年(847年)6月18日、藤蔵は薙髪して普賢坊の長子長円坊が本宮の傍に新たに建立した若宮と共に、現在当社の奥宮として祀る。

嘉祥年間(848年-851年)、天台宗の高僧である慈覚大師(円仁)が奥州巡歴の途次にこの地に至 り、宮寺妙泉寺を創建して坊を大黒坊と称し、不動三尊・大黒一尊各々本尊を別に新山宮と号し、三間四面の宮を建立して早池峯大権現を祀り、脇士として薬師・虚空蔵菩薩を 併祀。

坊には高弟である持福院(そのため持福院妙泉寺とも)を住職とし、神宮には長円坊を別当とした。祭祀は神仏混淆で盛大に行われ、信仰は県外に及び阿曽沼親綱(遠野阿曽沼氏、文治5年(1189年)奥州征伐後と思われる)の時代に120石が寄進される。

その後、南部直栄(寛永4年(1627)に遠野に入部)より65石の寄進を受け、計200石となり、明治維新を迎える。排仏棄釈により妙泉寺は廃され、新山宮改め現社号として現在に至る。

その間、寛治年間(1087年-1094年)に妙泉寺の宗派が天台宗から真言宗にかわり、文治5年(1189年)、火災で全焼するなどを経て、現在の社殿は享保3年(1718年)の建築。東西四十三尺一寸、南北三十三尺七寸、用材は主として楢・栗などを使用している。

その他、神楽殿、神門、 黒門、社務所などがある。神門は文化年間(1804年-1818年)の建立で、もとは仁王門と称し、仁王を安置していたが、妙泉寺の廃寺とともに土渕の仏師田中円吉作の随神像に替えた。

昔は古例として年七回の祭儀を執り行ったと伝えられる。今は年一回、旧暦6月18日に例祭を行っているが、近くの滝川に神輿を渡御して川の水を濯ぐ行事は、京都の八坂神社における祇園御霊会の神輿洗いの行事と同じく、古式であって、全国的にも珍しいとされる。

当社は、東野三山の一つ、霊峰である早池峰山(1917メートル)山頂にある奥宮に対する里宮。早池峰山への登山口は、東西南北に存在し、四方の登山口それぞれに同名神社がある。

西の登山口…大迫には、元池上院妙泉寺であった早池峰神社
東の登山口…江繋には、元新山堂であった早池峰神社。
北の登山口…門馬には、元新山大権現であった早池峰神社。
南の登山口…遠野には、元持福院妙泉寺であった早池峰神社。<当社>
早池峰神社(遠野市)の位置
このうち、当社は、西の登山口・大迫の池上院妙泉寺と、江戸期において約90年にわたり、幕府も巻き込んで、どちらが本坊かを争点とした大論争を繰り広げた。

早池峰山頂には二つのお社があり、山開きの時に玉串をあげるのが大迫の早池峰神社の奥宮、その隣にある石造りのお社が当社の奥宮。

当社の里宮は、やはり遠野にある伊豆神社を起点に、遠野駅を経て、その一直線上に奥宮があり、夜になるとその上に北極星が輝くという。

【ご利益】
領内安泰、国家平穏、所願成就
早池峰神社(遠野市) - 祇園御霊会の神輿洗いと同じ行事を伝える、前身はやはり妙泉寺
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