【日刊】日本の城
名称:今治城(いまばりじょう)
別称:吹上城、吹揚城

史跡:県の史跡
国宝:-
重文:-

住所:愛媛県今治市通町3丁目 1-3
電話:0898-31-9233
日本100名城:第79番
  - スタンプ:今治城管理事務所(天守閣内)

今治城(いまばりじょう)は、伊予国(今の愛媛県今治市)にあった、日本の城である。三重の堀に海水を引き入れた特異な構造で、当時は海から堀へ直接船で入ることができるなど海上交通の要所今治らしく海を最大限に活用した城となっている。日本三大水城の一つ。

慶長7年(1602年)、藤堂高虎によって築城開始され、慶長9年(1604年)に完成。普請奉行として渡辺了の名が知られている。

今治城完成以前の今治の支配拠点は、唐子山山頂にあった国府城であったが、より能率的な都市経営を目指すため築城された。

二之丸に藩主館、中堀以内に側近武士の屋敷、外堀以内に侍屋敷、城門が9ヶ所、櫓が20ヶ所と非常に広大な造りだった。慶長14年(1609年)、高虎が伊勢国津城に移封となり、同時に天守は丹波国亀山城に移築されたと伝わる。

高虎自身は移封されたが今治領2万石は飛び地として残り養子の高吉が居城した。

寛永12年(1635年)、高吉は伊賀国名張に移り、代わって伊勢国長島城より松平(久松)定房が入城し、以後、明治維新まで今治藩・久松松平氏の居城となった。

広大な城郭は江戸260年間保たれたが、明治維新以後、廃城令施行前の明治2年(1869年)に廃城、ほとんどの建築物が破却された。このとき二の丸北隅の武具櫓は収蔵物とともに残されたが、明治4年(1871年)に火災が発生した際、内部の火薬に引火して爆発炎上し破壊された。

昭和55年(1980年)に5層6階の天守が鉄筋コンクリートで建てられた。昭和60年(1985年)に東隅櫓が御金櫓として、平成2年(1990年)に二の丸西隅に山里櫓がそれぞれ再建された。

平成19年(2007年)9月、可能な限り江戸時代の史実に基づき、鉄御門(くろがねごもん)が石垣や多聞櫓5棟ともに復元された。また、二の丸に藤堂高虎の像が建立された。

日本の歴史公園100選に「吹揚公園」として選ばれている。
今治城 伊予国(愛媛県今治市) - サムネイル写真
【関連サイト】
今治城 | 今治市 文化振興課 - 今治市の文化施設

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