法霊神社、法霊山とも呼ばれる、八戸市内で最古の神社 義経北行伝説も
[住所]青森県八戸市内丸2-1-51
[電話]0178-22-1770

龗神社(おがみじんじゃ)は、青森県八戸市内丸にある神社。参拝すれば、「法霊山」と入った御朱印を頂ける。

正しくは法霊山龗神社(ほうりょうさんおがみじんじゃ)といい、法霊神社、法霊山という通称でも呼ばれている。

御祭神は、高龗神(たかおかみのかみ )と法霊大明神。八幡町鎮座八幡宮(応神天皇)、常海町鎮座月山神社(月読命)、沼館村鎮座新川神社(瀬織津比売)を祀る。

当社の起源には諸説あるが、元来八戸村柏崎地区の産土神、そしてこの地域の農業用水などを賄っていた柏崎堤の守護神として創始されたという説が有力である。

記録上判断できる限りでも約900年前の平安後期にまで遡れ、八戸市内で最古と言われる。

この創建年代に関しては、大和朝廷による蝦夷征討以降、北東北の地に神社という概念が持ち込まれた頃にはすでに産土信仰が定着していたたことになる。

創建当時、産土信仰は土着風習のようなものであったと考えられており、特に神社としての体裁と名前があったかどうかは不明。

その後堤の守護神となった頃には三崎社と呼ばれ、場所も現在よりやや南東方面(現在の八戸市内丸三丁目から柏崎方面あたり)に鎮座していたとされている。

鎌倉時代になると、現在も神職を務める坂本家の七代目である「法霊」という修験者が、熊野や京都の聖護院などで修行の後、東北地方から青森県内様々な地域を説いて回った。

そうして、八戸に戻った。このことから現在に続く当社の縁起が始まる。

法霊が戻った時、八戸では日照り続きで作物の栽培に深刻な影響が出ていたため、農民たちは雨乞い祈祷に優れた法霊に依頼し、恵みの雨を願った。

しかし、寝食を忘れた命がけの祈祷の甲斐むなしく雨を降らせることができなかったという。

それに心を痛めた法霊は三崎社内の池に自らの身を投げ、自身の命と引き換えに雨を降らせてほしいと願った。

すると、とたんに法霊の御霊が龍に化身し天に登り、にわかに空に暗雲が立ち込めて恵の雨を降らせたと言い伝えられている。

この御神徳に心から感謝した人々は御霊を三崎社に合祀して法霊明神と崇め、法霊社という神社として祀ったとされている。

なお、坂本家は、曾我兄弟の仇討ちで討ち取られた工藤祐経の縁者にあたる工藤祐道末裔とされる。

京都の聖護院門跡には法霊が修験者として修行を行った記録が現在でも残っており、青森県内ならびに東北地方に点在する法霊(法領、法量など含む)という地名は、八戸に至るまでの間に法霊が説いてまわった地域であるという。

十和田市法量には法量神社がある。

江戸時代に入ると盛岡藩により再建され、八戸城の館神として本丸内に遷座された。その後、万治元年(1658年)に二代藩主南部重直より20石の寄進を受けている。

寛文4年(1664年)に八戸藩が成立すると、法霊大明神を本丸内より現在地(当時は八戸城二の丸内)に遷座し、藩神ならびに八戸藩総鎮守として規模拡張を行った。

享保5年(1720年)、法霊社に祈願した結果、豊作に恵まれたことへの感謝として、翌6年に法霊社の神輿を長者山虚空蔵堂(現 長者山新羅神社)へ渡御して2日後に還御するという神事が執り行われた。

この神事が発展し、現在の八戸三社大祭となっている。

八戸藩政期は藩主の祈願所であり、城内二の丸に鎮座していたので、藩主の居城が近いなどの理由から一般の領民が参拝できる神社ではなかった

しかし、法霊社祭礼(現在の八戸三社大祭)の際は午前8時から午後4時までの間だけ一般領民の参拝が許され、境内は行楽を兼ねて弁当を持参した参拝者で賑わったという。

現在の鎮座地は、内丸という地名からも判る通り八戸城内であり、内丸地区に鎮座する神社は、当社の他は、明治11年(1878年)に八戸藩祖などを祀り、八戸城跡地に創建された三八城神社だけである。

また、社殿は江戸時代に南部家より寄進されたものであるが、社殿形成前は現在の神楽殿が本殿として使用されていた。

当社は、源義経は平泉で死なずに北へ逃亡したという、所謂「義経北行伝説」の舞台でもある。

義経の北の方(正室)である久我大臣の姫は、義経北行の際に同行したが、亡くなって葬られたのが当社だとされる。北の方が使用したという手鏡が現在も所蔵されている。

8月2日が例大祭。1日が御輿渡御(御通り)、3日が御輿還御(御還り)。明治17年(1884年)から新羅神社との2社祭礼となり、その5年後に神明宮が加わり、現在の八戸三社大祭の形となる。

八戸三社大祭の山車行事」として、国の重要無形民俗文化財に指定されている。

5月第2日曜日とその前日に法霊神楽(ほうりょうかぐら)を奉納する法霊神楽祭がある。

法霊神楽は山伏の奉納した神楽に起源を持つが、現行のものは戦後に地元の青年が旧八戸藩領であった九戸郡から八戸市内にかけて伝わっていた江刺家手という舞い方と太鼓の打ち方を伝習したもの。

【ご利益】
憑き物落し、降雨祈願、出世開運、武運長久、運気上昇、厄除開運など
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