越後長岡藩の名君・牧野忠辰を祀る、「お山」と親しまれる長岡の崇敬対象
蒼柴神社
[住所]新潟県長岡市悠久町707
[電話]0258-33-1769

蒼柴神社(あおしじんじゃ)は、新潟県長岡市悠久町にある神社。近代社格では県社。2015年6月9日、37人の赤ちゃんが参加した泣き相撲が行われて話題となった。参拝すれば、御朱印を頂ける。

御祭神は牧野忠辰。忠辰は、越後長岡藩三代目藩主。藩政において、「諸士法制」の修正と改正による風紀の徹底、殖産興業政策、消防制度の確立など、民政に尽力し、長岡藩三明君の一人とされる。五代将軍徳川綱吉の前で講義を行なう。

享保7年(1722年)、すでに隠居していた忠辰が死去。これを通達された京都の神祇道管領の吉田家(吉田神社)より、故人忠辰に蒼柴霊神の神号が贈られる。このために養嗣子で当時の藩主牧野忠寿が長岡城東隅に社殿を造営して、忠辰の霊璽を奉安した。

享保13年(1728年)3月27日の三蔵火事により、社殿が全焼したために千手町の八幡社に奉遷したが、同年11月12日に再建工事が成り、遷座式が行われる。享保18年(1733年)には京都の吉田家により明神に昇格される。

明和3年(1766年)に牧野忠精が藩主となると、社殿の城内からの移転が計画され、当初遷座地を中島としたが、明和6年(1769年)には忠辰が治世中に杉の植林を行った戸左衛門新田の三官山に変更し、遷座地での入込殺生禁断の令を発布。

明和8年(1771年)、忠辰50周忌により大明神に昇格。天明元年(1781年)に三官山を開拓して社殿を造営し、7月29日に社地を三官山から悠久山と改名し、8月8日には遷宮式が行われて現在地に移転する。

越後長岡藩では藩職として悠久山御社御用掛を初めとする蒼柴大明神への奉仕・社殿及び境内の警備管理する役職が設置され、旧暦2月6日と旧暦8月17日の祭礼には藩主または藩主名代が参詣した。「お山」の名で長岡における崇敬の対象となる。

北越戦争で長岡城が落城すると栃尾に奉遷されるが、明治2年(1869年)春には再び元に戻され、神仏分離令を受けて明治4年(1871年)に現社号となる。明治41年(1908年)から新潟県の幣餞料供進神社に指定され、昭和5年(1930年)に村社から県社に昇格した。

悠久山神祠碑、招魂社、牧野家歴代の御霊廟などがある。参道の千本桜の美しさに定評がある。

【ご利益】
風紀・心身の洗濯、商売繁盛、火防、家内安全、無病息災など
蒼柴神社 - 越後長岡藩の名君・牧野忠辰を祀る、「お山」と親しまれる長岡の崇敬対象
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蒼柴神社の御朱印