「三羽のうさぎ」で知られる東北の熊野信仰の中心、日本三熊野
[住所]山形県南陽市宮内3476-1
[電話]0238-47-7777

熊野大社(南陽市)(くまのじんじゃ)は、山形県南陽市にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。正式には「熊野神社」とされるが、当社の公式サイトでの表記含めて、ほとんど「熊野大社」で呼ばれている。

熊野三山熊野本宮大社熊野速玉大社熊野那智大社)、熊野皇大神社(長野県北佐久郡軽井沢町)と並び、日本三熊野の一社。島根県松江市の同名神社との混同を避けるため、「南陽(市)の熊野大社」と特に呼称されることが多い。

当社自身は、「東北の伊勢」としている。御祭神は熊野夫須美大神(くまのふすみのおおかみ、伊弉冉尊)、熊野速玉大神(くまのはやたまのおおかみ、伊弉諾尊)、熊野家津御子大神(くまのけつみこのおおかみ、素盞鳴尊)。

社伝によれば、大同元年(806年)、平城天皇の勅命により紀伊国熊野権現の勧請を受けて再興されたとするもので、それより前の国分寺建立のときに創建されたものと推定されている。異説としては、実際には平安時代末期の平維盛(1158年 - 1184年)により創建されたとも。

また、社伝によれば、後白河天皇が久寿2年(1155年)の即位の時に当社に天下泰平の祈祷を命じ、以降勅願所になったと伝える。

慶長6年(1601年)、上杉景勝は米沢30万石に減封され、直江兼続が大旦那として当社の修復にあたったのは、 その3年後の慶長9年(1604年)5月。当社に伝わる『一山古今日記』には、直江兼続の造営の棟札と伊達政宗の棟札が並べて書き上げられている。

伊達氏、上杉氏から、さらに最上氏から、いずれも崇敬されていたという。当社には、伊達政宗の安堵状が残されている。

神仏習合の時代には、熊野三山と同じ証誠寺の寺号を称することを許され、熊野修験の一大霊場として栄えた。明治になり、神仏分離にはなったが、現在の当社の会館名が「証誠殿」で、その名残をとどめている。

当社の本殿裏に、うさぎが三羽隠し彫りされていることで知られる。いつ頃からかは不詳だが、うさぎを三羽見つけた人が次々と大成功を収めたことや、恋や願い事が成就したことから、「願いが叶う」「しあわせになれる」と言い伝えられるようになった。「三兎招福」などとも。

最後の三羽目は、人から聞いたり、場所を教えてしまうとご利益がなくなると言われているため、授与所で二羽目までの手引書は渡されるが、三羽目は独力で探し出す以外にない。

「月」「うさぎ」「縁結び」。昔からうさぎは月に棲むと言われ、月の使いと信じられて、オオクニヌシの恋を助けた因幡の白兎もよく知られる。当社では、月に一度、満月の夜、月の光とうさぎに導かれ、ご縁が結ばれるよう、特別な縁結び祈願祭を斎行している。

参拝すれば、御朱印を頂ける。

【ご利益】
「むすひ」の神。男女の愛によって新しい生命を生み出し、命を守ってくれる神(公式HP
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熊野大社(南陽市)の御朱印