加賀国総社で加賀国一宮ともされた、オオモノヌシやその子を祀る古社
石部神社(石川県小松市古府町カ169)
[住所]石川県小松市古府町カ169
[電話]0761-22-4089 - 多太神社

石部神社(いそべじんじゃ)は、石川県小松市古府町にある神社。

『延喜式神名帳』にある「石部神社(加賀国・能美郡)」に比定される式内社(小社)。歴史的な一宮としての加賀国一宮で、近代社格では郷社。「全国一の宮会」に加盟していない。

御祭神は櫛日方別命。『古事記』に櫛御方命(くしみかたのみこと)とある。

ただし、『加賀國式内等舊記』などには大物主神と記されており、近世には船見山王明神と呼ばれていた。櫛御方命は大物主神の子。

創祀年代は不詳であるが、加賀国が越前国から分国された弘仁14年(823年)よりも前から存在していたと伝えられ、加賀国の国府の南に位置したところから、府南社との別名があった。

ただし、『白山之記』には府南社の創建は加賀国が越前国されたときであるとしている。

当社が加賀国総社、惣社とみられており、一時は隆盛を誇ったが、安元2年(1176年)の涌泉寺事件以降勢力が衰えた。

室町時代の応永28年(1421年)の足利義持判書に「南禅寺領加賀国府南社御供 田云々」とあり、南禅寺と所領争いがあったことが分かる。

安土桃山時代の慶長5年(1600年)、丹羽長重により社殿の修理などが施され、江戸時代には歴代の加賀藩藩主の庇護を受けた。

江戸時代初期の寛永年間(1624年-1645年)には前田利常が神宝を奉納した。

明治5年(1872年)8月、郷社に列し、明治39年(1906年)12月、神饌幣帛料供進神社に指定された。

昭和6年(1931年)3月に現在の拝殿が造営された。昭和37年(1962年)に社殿を改築。

当社が加賀国一宮であると考えられていた時期もあり、白山比咩神社と論争になった。

当社管理を担当している多太神社によれば、当社の御朱印はあり、頂く場合は、現地参拝の上、氏子総代・中山様(0761-47-2645)に連絡とのこと。

一宮とされながらも、当社の御朱印はネット上ではほとんど確認できず、あまり知られていない可能性がある。

【ご利益】
現地一帯の守護神
石部神社 - 加賀国総社で加賀国一宮ともされた、オオモノヌシやその子を祀る古社
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