亡命高句麗人によって開拓された旧高麗郡にある古社
[住所]埼玉県日高市新堀833
[電話]042-989-1403

高麗神社(こまじんじゃ)は、埼玉県日高市新堀にある神社。近代社格では県社、現在は神社本庁の別表神社。参拝すれば、御朱印を頂ける。

天智天皇5年(666年)、高句麗からの使者の一員として玄武若光が来日したが、翌年、高句麗は唐・新羅に滅ぼされる。

同7年(668年)、朝廷は高句麗から亡命して日本に居住していた帰化人を高麗郡の設置にあたって移住させ、その中に高麗若光(こまのじゃっこう)もいたという。

大宝3年(703年)、高麗若光が朝廷から王(こきし)姓が下賜されたという話が伝わっている。高麗若光が玄武若光と同一人物であれば、高句麗王族の一人として王姓を認められたということになる。

霊亀2年(716年)、武蔵国高麗郡が設置された。これは、現在の同市の一部および飯能市の一部にあたる高麗郷および上総郷に当たる。平成28年(2016年)は建郡1300年の節目となる。

中世以降、郡域は拡大し、現在の日高市・鶴ヶ島市のそれぞれ全域と、飯能市・川越市・入間市・狭山市のそれぞれ一部が高麗郡の範囲となった。

若光はその開拓の中心人物だったようで、駿河、甲斐、相模、上総・下総、常陸、下野の各地から移り住んだ亡命高句麗人1799人とともに当地の開拓に当たった。

若光が当地で没した後、高麗郡民はその徳を偲び、御霊を「高麗明神」として祀った。これが当社創建の経緯。現在でも大韓民国の駐日大使などが参拝、韓国と関わりの深い芸能などが奉納されることがある。

御祭神は高麗若光。猿田彦命武内宿禰命を配祀する。若光の子孫が代々宮司を務め、神仏習合の時代には高麗家は修験者として別当を勤め、現宮司は60代目になる。

高麗大宮大明神、大宮大明神、白髭大明神と称されていた社号は、明治以降に現社号となった。境内隣接地には江戸時代に建てられた高麗家住宅(国の重要文化財)がある。

入口付近の敷地には、将軍標(しょうぐんひょう・ジャングンピョ)がある。平成4年(1992年)に在日本大韓民国民団埼玉県地方本部によって木製のものが奉納された。

その後、事故で破損し腐食したため、平成17年(2005年)になって現在の花崗岩で制作されたものが民団中央により寄贈された。

将軍標は西武池袋線の高麗駅の広場にも建てられている。高麗駅の将軍標は何度か再建されており、初めて立てられたのは高麗駅の方が早い。

高麗郡は明治29年(1896年)に入間郡に合併されたが、当社はその後も広く崇敬を受けた。

特に大正から昭和にかけて、浜口雄幸、若槻禮次郎、斉藤実、小磯国昭、幣原喜重郎、鳩山一郎らが当社参拝後相次いで総理大臣となったことから、「出世明神」として広く知られるようになった。

神社発表で、年間の参拝客は40万人。だとすれば、正月三が日にはその半分ほどに当たる初詣客で賑わうことになる。

なお、当社は進藤彦興『詩でたどる日本神社百選』に掲載されている。

【ご利益】
出世明神、子孫繁栄、家内安全、延命長寿、病気平癒など(公式HP
高麗神社(日高市) - 亡命高句麗人によって開拓された旧高麗郡にある古社
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高麗神社(日高市)の御朱印